延命寺から次にやって来たのは今治市内にある第五十五番南光坊。
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住宅地の中にある広々とした境内だ。正面に山門が見える。
立派な本堂。ただ、これは戦後に再築されたものである。
町中にある寺で、参詣者は他のお寺よりも多い。
本堂の反対側には大師堂が建っている。
四国霊場第五十四番延命寺は今治郊外にあり、スマホのマップで確認すると、去年国会でも問題になった加計学園が経営する岡山理科大学の今治キャンパスもこの近くにあったが、立ち寄ってキャンパスを覗く程の酔狂もなく、そのまま真っすぐ今治市内に向かった。次の霊場は市内にある第五十五番南光坊。四国霊場八十八ケ寺の中で、お寺の名前の付かない霊場はここだけだ。又、ご本尊も大通智勝如来と言って、この仏をご本尊とするのもこの寺だけだ。珍しいお寺である。 -
今治の町中を走り抜け、今治駅から程近い住宅地の中に寺はあった。今までの霊場は住宅地からやや距離を置いた、山の端とか、木立の中、少なくとも境内の周囲を塀で囲まれた中にあったが、この寺はそうした区切りもなく、住宅地のど真ん中に建っている。境内を区切る塀や株もなく、境内から歩いてそのまま住宅地に抜けられる。寺の名前と言い、ご本尊と言い、この町中の寺と言い、何か今までの少し気高い雰囲気の浮き上がった感じの寺とは違って、庶民に近い、少しばかり親しみの持てるような名前と雰囲気の寺だ。
この寺の創建当時の経緯は良くは知らないが、元々最初は今治の沖合にある大三島に祀られる大山祇(おおやまづみ)神社が、荒天の暴風雨等で島に渡れないこともあり、この地の領主越智氏が奈良朝の大宝時代に陸地のここに別宮を建て、その後大師も巡錫し、この宮を四国霊場五十五番目の札所にしたとのことである。
明治の初めの廃仏毀釈まで日本の宗教は神仏習合で、神道と仏教は仲が良く、天地垂迹の思想によって、神々と仏は一体のものと信仰されていた。この南光坊のある地は今でも別宮町と呼ばれているが、神仏分離で今は大山祇神社別宮は道路を隔てた隣の場所に移されているが、地名だけは変わらずに残っている。ご本尊大通智勝如来は、天地垂迹からすると大山祇大明神の本地仏とされている。かなり広い境内には大きな山門、本堂等が建っているが、これ等は太平洋戦争末期、米軍の爆撃により焼失し、戦後になって再建されたものである。
薬師堂と金毘羅堂が並んで建っている。
境内には芭蕉等の石碑も建っている。
タチアオイが満開に咲いている。
タチアオイは今が満開期か・・。
奥の森が大山祇別宮だ。