住宅が寺の近くまで押し寄せてきている。
駐車場から100m程登った先に庫裏と納経所がある。左は大師堂。
大師堂と更に一段高い場所に本堂がある。
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本堂は境内の一番高い場所にある。
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本堂、ご本尊は阿弥陀如来。
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本堂の前から左の大師堂、庫裏を眺める。
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延命寺はどちらかと言うとしまなみ海道に近い平地にあったが、次に向う第五十七番栄福寺は今治市内を通り過ぎて、郊外の山懐に向かって車を走らせた、山の端にある。住宅地は途切れ、更に車を走らせた先に駐車場があり、そこから更に数百m山間に向かって歩いた先に寺はある。昔だったら山の中のお寺だっただろうが、今は宅地が直ぐ近くまで進出してきていて、林の中に住宅なども見え隠れする。坂道を登った手前から寺の前庭が始まっていて、石垣の上は花壇のようにもなっている。花の種類は分からないが、開花時には見事な花の生け垣になるに違いない。
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坂を登り切った正面に庫裏納経所があり、その左側一段高くなった場所に大師堂があり、更に数段登った上の方に本堂がある。山の斜面を上手に整地し、狭い敷地の中に本堂、御堂、鐘楼などをコンパクトに収めている。ここだけを見れば山の寺だ。後ろを振り向いて、山の下の平地に広がる街並みさえ見なければ、正面を向いている限り深山のお寺だ。
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明治以前の神仏習合の時代には、寺の山号ともなっている府頭山山頂に八幡神社と栄福寺が一緒に並んで建っていた。この寺の後ろの山だが、それ程深い山ではなく、高さは100mにも満たない。この寺は最初、嵯峨天皇の勅願寺として、弘法大師が海の安全を祈る寺として、阿弥陀如来を奉納したが、その半世紀後、大和大安寺の僧侶が宇佐八幡から石清水に分社しようと八幡神を宇佐から運ぶ途中に海難事故に遭い、この山に避難した。栄福寺のご本尊が阿弥陀如来であり、それは又八幡大菩薩の本地仏。そこでここに伊予八幡宮を建てたのだ。それが明治の神仏分離令で、お寺は山頂から今のこの場所に移転されることになった。狭い斜面の土地を整地して建てられた堂宇にはそうした背景もあったのだ。
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阿弥陀如来は自分の戌年の守り神、真言はオンアミリタテイセイカラウン。梵語で言えばキリークだ。本堂、大師堂で心経、真言を唱え、石垣の上に建っている鐘楼で鐘を撞くと、音色は山間の谷間に響いて行くようだった。人気のない静かな山寺だった。本当はもっと時間を掛けて静かな寺で一服もしたい気持ちだが、この先に後1つ残っている。次の仙遊寺まで行って、お昼にしよう。
大師堂
ここのお地蔵さんも有名だ。
山の斜面を整地して、上手に堂宇がまとめられている。
石垣の上の梵鐘。鐘の音は静かに山間に響いて行った。
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納経所の前から本堂を見る。右が大師堂。
箱車を探したが、分からなかった・・。