

この小路を歩く人も少なく、奈良時代そのままの状態で自然が残されている。

春日川に沿って、車道は上流の方まで行けるようになっている。

土産物店は、奈良のどこにでもあるが・・

この奈良の3年坂を上ると、向こうには若草山が顔を出す。

春日大社から東大寺までの約2キロの散策路は1200年前の奈良時代の景観を今に残す、自然の情感たっぷりの場所である。余り人のやって来ない、この遊歩道を歩くのは好きだ。3年前もこの同じコースを歩いた。あの時は逆のコースだったが・・。
自然のままに流れる小川のせせらぎが、昨日今日の雨を集め、心なし勢いを増しているようだ。と言ってもこんな小さな小川、増水して氾濫することもないだろう。この川の流れはここに神社や仏閣ができる遥か以前から、ここにこうして流れ続けているのだろう。手ですくって飲んでみたい気もしたが、今の時代、何があるか分からない。止めておく。
京都清水3年坂のような石段を登った先に若草山がある。霧雨の中、少年たちがなだらかな斜面を上り、駆け下り、遊んでいる。確か自分も小学生の修学旅行でここへ来た時、この斜面を登ったっけ。山の形は当時と変わっていないし、1000年前とも変わっていない。1000年前も地方から奈良へやってきたお上りさんも、ここでこうして遊んでいたかも知れない。
確かあの時、この山の前に幾つか並んでいる土産物屋で、凝ったデザインのナイフを買ったっけ・・・。いや待てよ、買ったのは京都烏丸だったのか・・。今でも机の引き出しの奥にそのナイフは仕舞われている。
この土産物店の並んでいる中に、数年前来たときは、黒塗りの大きな看板で、「陀羅尼助」と如何にも古都奈良らしい看板が出ていたが、3年前に来た時は、その看板も消えてしまって、漢方薬局店はもう無くなってしまったかと思われたが、今日も再びその「陀羅尼」の看板を見ることはできなかった。しかし大和の刀剣は今でも地方の中高生に人気があるのか、以前よりも更に大きな店構えで、且つ刀屋も増えたようで、大和の守の健在ぶりが窺われた。思い出のこの小径を歩くと、遠いノスタルジアに浸ることも出来るようだった。
自然のままに流れる小川のせせらぎが、昨日今日の雨を集め、心なし勢いを増しているようだ。と言ってもこんな小さな小川、増水して氾濫することもないだろう。この川の流れはここに神社や仏閣ができる遥か以前から、ここにこうして流れ続けているのだろう。手ですくって飲んでみたい気もしたが、今の時代、何があるか分からない。止めておく。
京都清水3年坂のような石段を登った先に若草山がある。霧雨の中、少年たちがなだらかな斜面を上り、駆け下り、遊んでいる。確か自分も小学生の修学旅行でここへ来た時、この斜面を登ったっけ。山の形は当時と変わっていないし、1000年前とも変わっていない。1000年前も地方から奈良へやってきたお上りさんも、ここでこうして遊んでいたかも知れない。
確かあの時、この山の前に幾つか並んでいる土産物屋で、凝ったデザインのナイフを買ったっけ・・・。いや待てよ、買ったのは京都烏丸だったのか・・。今でも机の引き出しの奥にそのナイフは仕舞われている。
この土産物店の並んでいる中に、数年前来たときは、黒塗りの大きな看板で、「陀羅尼助」と如何にも古都奈良らしい看板が出ていたが、3年前に来た時は、その看板も消えてしまって、漢方薬局店はもう無くなってしまったかと思われたが、今日も再びその「陀羅尼」の看板を見ることはできなかった。しかし大和の刀剣は今でも地方の中高生に人気があるのか、以前よりも更に大きな店構えで、且つ刀屋も増えたようで、大和の守の健在ぶりが窺われた。思い出のこの小径を歩くと、遠いノスタルジアに浸ることも出来るようだった。
若草山も霧雨にけぶっている。

どこかの修学旅行生か・・。こんな小雨の中でも、若草の斜面を楽しんでいる。


餌を豊富に与えられるせいか、ここにも又沢山の鹿の群れ。

鹿は店先にまでおねだりにやってくる。

昔の「陀羅尼助」は今はもう見られない。

土産物店も時代と共に変わって行くのか・・
