この山間部の道路も今大々的な道路工事をやっている。
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数年後、もしも又この道路を通ることがあれば、素晴らしい自動車道に変貌しているだろう。
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5年前のルーイの山中を見る思いだ。
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近くには住宅は見えないが、道路際には子供達の姿も見える。
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道路に並行して、時々モエ川も見える。
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カレン族難民保護区の前で、次のソンテウが来るまで最悪半日位は待たねばならないか、と覚悟をしていたが、案に相違して1時間程待って、次の超満員のソンテウに飛び乗ることができ、ラッキーだった。乗った直後は座席の外に張り出してあるプレートの上に立ち、振り落とされないように荷台のコーナーにしがみ付いていたが、街道筋の集落や部落、小さな町に止まる度に乗客も下りて行って、終点のメーサリアンの手前1時間位からは乗客も4-5人に減っていった。
ソンテウの4時間の山間の旅も終わりつつある。3年前、初めてこの街道をソンテウで通り抜けた時、自然のままの山間の景色、鄙びた田舎の集落、如何にも純朴そうな乗客、等々に感動したが、今回も変わらない。変わるとすれば2度目であり、最初に見た時の新鮮さが少しばかり欠けていた位か。
タイの田舎道はどうしてこんなに心を打つのだろうか・・。特に思い出深いのはピサヌロークからウドンタニに抜けた約6時間のバスの旅。ルーイの近くのペチャブン山脈のあの雄大な光景。丁度阿蘇の山中の大観峰から眺めた大輪山のような雄大な光景だった。もう5年前になるか・・。あの時、あちこちで大規模な道路工事をしていたが、今はもう立派な4車線の高規格道路が出来上がっているだろう。
それから次の光景はタトンからタイの最北メーサロンへ行ったときで、あの時もバスで5-6時間かけて北部山岳地帯を走ったが、なだらかな山の頂上付近に点在する少数民族の集落はユートピアそのもののような光景だった。燦々と降り注ぐ陽光、貧しげな家屋から昇る一条の煙。斜面をゆっくり上り下りする農夫。こんなところに住んだら本当に仙人になれるかも知れないと思った。
ソンテウは高原地帯の起伏に沿ってなだらかに上り下りする。時々通り過ぎる散村の家々。近代化の波はこんなところにも押し寄せ、この家の何人かは多分バンコク辺りに働きに出ているかも知れない。時々左側にモエ川の川筋が見える。漁師がいるとも思えない自然の流れ。勿論堤防などはない。20年前までは電気も通っていなかったかも知れない。夜明けとともに起き、日暮れとともに寝る生活だったら、電気もテレビも必要ないだろう。
周りの景色、ソンテウの乗客、過去の情景など思い出していると、ソンテウは漸く山間部を出て、川沿いの平野に出て、街道に面する住宅も増えてきて、家並も山中のナッパ屋根のバラックとは違ってちゃんとした木造家屋。待ちに近付きつつあることを知る。30分も走り、郊外の大きな小学校の校庭の前を通り過ぎ、込み入った街中に入り、4時間ぶりに信号機のある交差点をs通過すると、そこはもうメーサリアンのバスターミナルだった。
ソンテウの4時間の山間の旅も終わりつつある。3年前、初めてこの街道をソンテウで通り抜けた時、自然のままの山間の景色、鄙びた田舎の集落、如何にも純朴そうな乗客、等々に感動したが、今回も変わらない。変わるとすれば2度目であり、最初に見た時の新鮮さが少しばかり欠けていた位か。
タイの田舎道はどうしてこんなに心を打つのだろうか・・。特に思い出深いのはピサヌロークからウドンタニに抜けた約6時間のバスの旅。ルーイの近くのペチャブン山脈のあの雄大な光景。丁度阿蘇の山中の大観峰から眺めた大輪山のような雄大な光景だった。もう5年前になるか・・。あの時、あちこちで大規模な道路工事をしていたが、今はもう立派な4車線の高規格道路が出来上がっているだろう。
それから次の光景はタトンからタイの最北メーサロンへ行ったときで、あの時もバスで5-6時間かけて北部山岳地帯を走ったが、なだらかな山の頂上付近に点在する少数民族の集落はユートピアそのもののような光景だった。燦々と降り注ぐ陽光、貧しげな家屋から昇る一条の煙。斜面をゆっくり上り下りする農夫。こんなところに住んだら本当に仙人になれるかも知れないと思った。
ソンテウは高原地帯の起伏に沿ってなだらかに上り下りする。時々通り過ぎる散村の家々。近代化の波はこんなところにも押し寄せ、この家の何人かは多分バンコク辺りに働きに出ているかも知れない。時々左側にモエ川の川筋が見える。漁師がいるとも思えない自然の流れ。勿論堤防などはない。20年前までは電気も通っていなかったかも知れない。夜明けとともに起き、日暮れとともに寝る生活だったら、電気もテレビも必要ないだろう。
周りの景色、ソンテウの乗客、過去の情景など思い出していると、ソンテウは漸く山間部を出て、川沿いの平野に出て、街道に面する住宅も増えてきて、家並も山中のナッパ屋根のバラックとは違ってちゃんとした木造家屋。待ちに近付きつつあることを知る。30分も走り、郊外の大きな小学校の校庭の前を通り過ぎ、込み入った街中に入り、4時間ぶりに信号機のある交差点をs通過すると、そこはもうメーサリアンのバスターミナルだった。
相変わらずのナッパ屋根の粗末な住宅が続く。
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間も無く道路も山を下る。
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漸く平野部に出た。メーサリアンも近い。
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もうメーサリアンの郊外だ。 耕作地も見えてきた。
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漸くバス停に着いた。ここにはちゃんとしたバスも止まっている。
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/commodore/20010101/20010101183410.jpg)