ああ大講堂の裏にこんな立派な桜の大木があるではないか!
それも今見事に満開となっている。
ああ、最後にこのお寺で桜にお目見えすることが出来た。「醍醐の桜」。
醍醐の桜が遠路はるばるやってきた当方が来るのを待っていてくれたのか・・
いやいやそうじゃない。花には花の命、存念がある。
今年は何かと忙しく、小金井桜の姥桜を見ただけで終わってしまったが、今日ここで、こうして桜の盛花を見れるとは!
びっくりした、驚いた、予想外だった。醍醐にまだ桜が残っていたとは! 弁天堂の池を巡り、大講堂の裏手に出た所、桜の大樹が2-3本満開の花を咲かせているではないか! 大きな建物の陰に隠れ、参道を上って来た時には気が付かなかった、建物の裏手に回ると、桜の老木が人知れず、ひっそりと咲いていた。
参道の両側に並ぶ桜並木は既に葉桜になっていて、花見の時期を失した感があったが、こんな場所に、殆どの参詣者が素通りして行くような講堂の裏手に、何かを主張するように満開の花を咲かせている。花は花、人に見てもらうために咲くのではなく、季節が巡り、その時になれば勝手知ったる物の道理、ぱっと咲いてぱっと散る、花の命。
これも又「醍醐の桜」。何も三宝院の前の並木だけが醍醐の桜でもない。こうして山桜もどきの桜がいつの頃からこの場所で、春を待って花開き、散って行く。花の寿命は長くはないので、秀吉の時代から数え、何世代目の桜になるだろうか。
昨日は造幣局の通り抜けで人工的に植樹された桜の美しさを堪能したが、今日は今日で、この醍醐寺の境内で、殆ど自然の中で育ち老木となった山桜を見た。この寺が存続する限り、300年、500年先にも、同じこの場所で何世代かのジェネレーションを経て、同じ様に咲いているだろう。自分のような奇特な人が桜の時期の終わった醍醐寺を訪ね、この場所でひ孫、やしゃごの桜を見ているかも知れない。見る人もなく、見られるでもない桜は、そんな風に主張していたのかも知れない。
五重塔を見、盛春の若葉を見、そして最後に醍醐の桜も見ることができた。もう何もいうことは無い。この寺の100景は余すところなく堪能できた。そろそろ京都に戻ろう。そして三条高倉の六角堂にお参りしてから、帰京しよう。
参道の両側に並ぶ桜並木は既に葉桜になっていて、花見の時期を失した感があったが、こんな場所に、殆どの参詣者が素通りして行くような講堂の裏手に、何かを主張するように満開の花を咲かせている。花は花、人に見てもらうために咲くのではなく、季節が巡り、その時になれば勝手知ったる物の道理、ぱっと咲いてぱっと散る、花の命。
これも又「醍醐の桜」。何も三宝院の前の並木だけが醍醐の桜でもない。こうして山桜もどきの桜がいつの頃からこの場所で、春を待って花開き、散って行く。花の寿命は長くはないので、秀吉の時代から数え、何世代目の桜になるだろうか。
昨日は造幣局の通り抜けで人工的に植樹された桜の美しさを堪能したが、今日は今日で、この醍醐寺の境内で、殆ど自然の中で育ち老木となった山桜を見た。この寺が存続する限り、300年、500年先にも、同じこの場所で何世代かのジェネレーションを経て、同じ様に咲いているだろう。自分のような奇特な人が桜の時期の終わった醍醐寺を訪ね、この場所でひ孫、やしゃごの桜を見ているかも知れない。見る人もなく、見られるでもない桜は、そんな風に主張していたのかも知れない。
五重塔を見、盛春の若葉を見、そして最後に醍醐の桜も見ることができた。もう何もいうことは無い。この寺の100景は余すところなく堪能できた。そろそろ京都に戻ろう。そして三条高倉の六角堂にお参りしてから、帰京しよう。
満ち足りた気持ちの中で醍醐寺を下る。
国宝の准低菩薩堂。
次に来るのはいつか・・、もうこれが最後になるだろうか・・。
この景色とも見納めだ。
三宝院も寄らずに終わってしまったが・・
豊臣が残したのは、名前と家紋だけではなかったのだ・・。 茶会のざわむれが響いてくるようだ。