寺院の奥の方へ進んで行くと、かなりの参詣者が見られるようになった。
寺院内の各堂屋内では大勢の信者が説教を聞いていた。
入口で説教を聞く着飾った老女。
丘の下からエレベーターを使わず長い階段を上ってくる信者も多い。
大きな木の下で寛ぐ信者。
世の中の憂さから解放され、穏やかな時間を過ごす人々。
随分以前にバチカン共和国へ行き、サンピエトロ広場に佇み、その寺院の設計、建造に関わったミケランジェロの偉大さに感激したが、今いるここシュエタゴン・パヤー寺の壮麗さは、仏教国におけるサンピエトロに匹敵するだろう。灼熱のタイルの上を歩いている人は最初の内はそれ程多いとは思わなかったが、各パゴダ内や木陰、建物の中にかなりの人々が集まっていて、合計すれば数千人単位になるかも知れない。凄い人数のミャンマー人が参詣にきているのだ。
以前タイ北部の国境の町タチレクを訪問し、そこにあるパゴダはミャンマーで二番目に大きなもので、このシュエタゴンに次ぐもの、と案内文に出ていて、確かにその大きさに驚いたが、今佇むこのシュエタゴンはそれ等とは全く比較も出来ない程の規模壮大なもので、この貧しい国で、どこからこの様な巨額な財力が集められたものかと、改めて感心した。
40数年前、カルカッタからバンコクまでの帰路、1日だけこの町に滞在したが、多分その時はこの寺院を訪問していなかった。これだけ大規模で壮麗な寺院、嘗て一度なりと訪問しておれば、必ずや記憶の片隅に残っている筈だ。しかし今眼前に広がる光景は初めて見るものに他ならない。ミャンマー国民は素晴らしい財産、遺産を身近なところで日々接することができ、何と幸せな国民であるか、と感心の思いで眺めているのみだった。
以前タイ北部の国境の町タチレクを訪問し、そこにあるパゴダはミャンマーで二番目に大きなもので、このシュエタゴンに次ぐもの、と案内文に出ていて、確かにその大きさに驚いたが、今佇むこのシュエタゴンはそれ等とは全く比較も出来ない程の規模壮大なもので、この貧しい国で、どこからこの様な巨額な財力が集められたものかと、改めて感心した。
40数年前、カルカッタからバンコクまでの帰路、1日だけこの町に滞在したが、多分その時はこの寺院を訪問していなかった。これだけ大規模で壮麗な寺院、嘗て一度なりと訪問しておれば、必ずや記憶の片隅に残っている筈だ。しかし今眼前に広がる光景は初めて見るものに他ならない。ミャンマー国民は素晴らしい財産、遺産を身近なところで日々接することができ、何と幸せな国民であるか、と感心の思いで眺めているのみだった。
あちこちに見える金色に輝くパゴダ。
こうした集まりは寺院内のあちこちで行われていた。
着飾った人々が目の前を通り過ぎて行く。
毎日晴着を着て、この寺院に参拝に来ているのだろうか・・。
同じ制服を着て、一定の宗派の集まりだろうか・・。
同じ宗派なのだろう。