シュエタゴンパヤー寺への入寺料を支払い、履物を脱いで、エレベーターから下りると、寺院に向かう通路が取り付けられていた。
寺院に入ると、人々は木陰で休息している。
食事をしたり、お喋りしたり、人々は平和そうだ。
奥に進む。凄い数の堂屋だ。
熱しられたタイルが足裏に気持ち良い。
ビルとのタクシー借り上げ30ドルが高いか安いかは分からないが、ヤンゴンの東方約50キロ近辺にある水上寺院を訪問し、途中の村落も通り抜け、その途中の畑の中にある真新しい国立Technology Universityの外観も眺め、この国が近代国家に力強く歩み出している様も間近に眺められた半日Excursionは有意義であった。
ヤンゴンへ戻る途中、再び見たヤンゴン川の大きさ、水量の豊富さは、これがイラワジ川と錯覚しても良いほどの広大なもので、チャオプラヤーの数倍する大きさだった。朝Excursionへ出る前に乗せてもらったヤンゴン市内の同じ場所まで戻り、これから午後の一時、この国最大の寺院「シュエタゴン・パヤー」を訪問することにした。
寺院は小高い丘の上にあり、外人専用の入口から1ドル程度の入寺料を支払い、履物をロッカーに預け、エレベーターで丘の上の寺院に向かう。ここは一切が素足で歩くことになっている。20m程の高さのエレベーターを降り、寺院の中に入ると、まさにそこは別天地。仏教涅槃の世界だった。
人々は木陰の下で車座になって持ってきたお弁当を食べていたり、お喋りしている。時間がゆっくり流れているか、時間は流れていないかのような世間の忙しさとは隔絶された天上の世界。響い来るものは車の騒音ではなく、有難いお経の響き。人々の平安で満足した様子。ここにこうして1日いれば、何の苦もないだろう。
広大な境内に幾つもの堂屋が重ねられ、この寺院がミャンマー最大とは言わずものがな分かることであるが、いや、これは仏教圏最大の寺院かも知れない。直射日光で熱し切ったタイルの上を、足の裏に感ずる熱さを心地よく捉え、夏の浜辺の灼熱の砂浜を歩くのを思い出し、あちこちから響く読経の声に人々の安心を思った。
ヤンゴンへ戻る途中、再び見たヤンゴン川の大きさ、水量の豊富さは、これがイラワジ川と錯覚しても良いほどの広大なもので、チャオプラヤーの数倍する大きさだった。朝Excursionへ出る前に乗せてもらったヤンゴン市内の同じ場所まで戻り、これから午後の一時、この国最大の寺院「シュエタゴン・パヤー」を訪問することにした。
寺院は小高い丘の上にあり、外人専用の入口から1ドル程度の入寺料を支払い、履物をロッカーに預け、エレベーターで丘の上の寺院に向かう。ここは一切が素足で歩くことになっている。20m程の高さのエレベーターを降り、寺院の中に入ると、まさにそこは別天地。仏教涅槃の世界だった。
人々は木陰の下で車座になって持ってきたお弁当を食べていたり、お喋りしている。時間がゆっくり流れているか、時間は流れていないかのような世間の忙しさとは隔絶された天上の世界。響い来るものは車の騒音ではなく、有難いお経の響き。人々の平安で満足した様子。ここにこうして1日いれば、何の苦もないだろう。
広大な境内に幾つもの堂屋が重ねられ、この寺院がミャンマー最大とは言わずものがな分かることであるが、いや、これは仏教圏最大の寺院かも知れない。直射日光で熱し切ったタイルの上を、足の裏に感ずる熱さを心地よく捉え、夏の浜辺の灼熱の砂浜を歩くのを思い出し、あちこちから響く読経の声に人々の安心を思った。
あちこちの日影で人々は悠然と時間を過ごしている。
仏と一緒に食事する至福の時間を人々は過ごしている。
広大な境内は人々で溢れている。
いったい幾つの堂屋が建っているのだろう・・。
この寺院最大のパヤー、パゴダが眼前に聳えている。