海岸線を埋め立てた外港には一部漁村の船溜まりのようなものも残されている。
遠浅の外港は広々しているが、ここには貨物船の姿は見えない。
遠方に長大橋が海の上を走っている。
幾つかの島が取り囲むように見えている。海はどこまでも黄色く濁っている。
島は見えたり、通り過ぎ去ったりする。
行き交う船はそれ程多くない。
船内の様子。
日本人には海は青いものとの認識がある。子供の頃からの常識で、小学生に絵を画かせたら必ず青い海を描く。処が中国の海は青くない。土色をしているのだ。フェリーが上海外港を出てから、真っ直ぐ南下して舟山をめざし進んで行くが、海の色はどこまで行っても変わらない。黄色と言うか、赤土を溶かした色だ。それがどこまでも果てしなく広がっている。
この海の色は長大な揚子江の流れが、遠く三峡の地から山肌を崩し、川を土色に染め、濁った水の色として上海の河口に押し出し、更にその土色の川水は海流に攪拌されて陸地から何十キロにも渡って黄色い海とさせている。こうした土色の海の中にお魚は棲んでいるのだろうか。いや、とてもそれは無理だろう。現に漁船の姿などどこにも見えない。港を出港しもう既に1時間以上経つというのに。
この海の色を見ているといつか読んだ慈覚大師の入唐行記の記述を思い出す。博多を出た遣唐使船一行は難渋の末中国大陸に近づくが、船員は海の色の濁りを見ていて大陸が近いことを知る。「水の色が変わった!」、船員のその叫び声に乗組員一同甲板に出て、海の水を見る。黄色く濁った海の色を見て、一同手に手を取って喜び合う。その感動的なシーンが昨日のことのように思いだされる。この海の色は1200年経った今も変わらないのだ。
この辺一帯は水深が浅いのか、左手の遥か先の洋上を長い長い海上橋が伸びている。所々、大きな船がその下を通過できるように、橋の盛り上がりを見せている。2キロ、3キロ、という程度の長さではない。10数キロ、多分、20キロ、30キロと洋上を長蛇のようにうねって伸びている。海ホタル、東京湾横断道路など比べ物にならない程の長大橋だ。中国は知らない間に、日本の遥か先を行っているようにも思えた。
この海の色は長大な揚子江の流れが、遠く三峡の地から山肌を崩し、川を土色に染め、濁った水の色として上海の河口に押し出し、更にその土色の川水は海流に攪拌されて陸地から何十キロにも渡って黄色い海とさせている。こうした土色の海の中にお魚は棲んでいるのだろうか。いや、とてもそれは無理だろう。現に漁船の姿などどこにも見えない。港を出港しもう既に1時間以上経つというのに。
この海の色を見ているといつか読んだ慈覚大師の入唐行記の記述を思い出す。博多を出た遣唐使船一行は難渋の末中国大陸に近づくが、船員は海の色の濁りを見ていて大陸が近いことを知る。「水の色が変わった!」、船員のその叫び声に乗組員一同甲板に出て、海の水を見る。黄色く濁った海の色を見て、一同手に手を取って喜び合う。その感動的なシーンが昨日のことのように思いだされる。この海の色は1200年経った今も変わらないのだ。
この辺一帯は水深が浅いのか、左手の遥か先の洋上を長い長い海上橋が伸びている。所々、大きな船がその下を通過できるように、橋の盛り上がりを見せている。2キロ、3キロ、という程度の長さではない。10数キロ、多分、20キロ、30キロと洋上を長蛇のようにうねって伸びている。海ホタル、東京湾横断道路など比べ物にならない程の長大橋だ。中国は知らない間に、日本の遥か先を行っているようにも思えた。