朝から小雨。冬の到来。今週1週間で11月は終わり、今年も残すは師走のみ。今年の灯油、18L1750円。ほぼ去年と変わらない。しかし暴騰すれば直ぐにも2000円を越えるだろう。この冬の寒さを凌ぎ、越して行く人々を思う。
石原氏とは同じ日に生まれたが、歩んできた道のりは全く違っていた。五木はそれを持って生まれた宿命と言っている。誰もこの宿命から逃れられない。変えることは出来ない。
世の中には不運な人もいる。高速を走っていて、対向車の事故に巻き込まれ、死ぬ人もいる。ほんの数秒、0.0何秒か、その場を早く通り過ぎるか、遅く来たかによって、運命は分かれる。この運命は誰も予知できないし、不運に遭遇したら、それが本人、家族の運命だった、と諦めるしかない。
その人の持って生まれた運命は死ぬ時まで予測不能だ。いつ死ぬのかは運命の定めだ。しかし、確実に言えることは人は何時かは死ぬということで、それは人として生まれた以上、誰も逃れることのできない宿命だ。
生老病死。
お釈迦様は、現実を直視し、人として逃れることの出来ない四苦を素直に受け入れるべきと諭した。
現実直視。嫌なことから目をそらすのではなく、嫌なこと、苦しいことでも、あるがままに直視すること。それが人間として生まれた自身の定めである、と達観していくこと。
朝鮮平城で終戦を迎え、その直後40代で母親を亡くし、艱難辛苦、帰国できたが、戦後間もなく父親を50代で亡くし、無二の弟を40半ばで亡くした五木氏にとって、こうした不運な人生も宿命として受け入れざるを得なかった。
78歳、いろいろな不運に見舞われたが、彼自身、振り返って幸せな人生を歩んできた、と述懐している。
貧乏であれ、貧しくとも、考えを変えれば、幸せになれる。今日1杯のご飯に喜びを感ずるようになれれば、その人の一生は幸せに満ちたものになるだろう。