ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(53)少林寺の仏像と石碑。

少林寺祖庭には幾つもの堂宇が立ち並んでいる。
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皆新しく見えるのは、紅衛兵時代に壊されたのが再築されたからか・・。
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熱心にガイドの話しを聞く観光団。
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堂宇の一つに入り、仏をお参りする。凄い線香の煙だ。
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釈迦三尊とも違うようだが・・。
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何という名前の仏様だろう。
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少林寺・祖庭に幾つかある仏閣の中には様々な仏様が奉納されている。日本の仏すら良く分からない小人に取って、中国の仏様などさらさら分からないが、名前は知らずとも、五台山等過去回ったお寺に安置されている仏と同じような顔立ちで、こうした風貌は日本の仏には余り見られない、所謂、中国風、中国流儀の仏なのだろう。

現代の中国人は、勿論共産国家だから国民の大半は共産主義者に違いないが、イコール無宗教者である。共産主義と宗教はマッチしない。だから仏像を見ても、鑑賞するだけで、祈りの対照とはしていない。しかし、そうは言っても、大勢の人の中には、熱心に祈りをしている人もいる。顔立ちが同じだから、それが台湾人なのか、大陸人なのかは区別がつかないが、共産主義者の中でも最近は、徐々に仏教に帰依する人も増えているようだ。

中国は元来儒教の国。仏教が伝来する遥か以前から儒教の教えは人民に浸透し、紀元前500年もの昔から孔孟の思想が国民に親炙されている。この2500年の間、幾多の王朝が替り、異民族に制服されたとしても儒教は守られ続け、現代の共産中国下、嘗ての紅衛兵時代、批林批孔に激しく攻撃され、各地の孔子廟、大成殿が打ち毀しに遭ったとしても、今またその儒教の精神、生き方は復活しつつある。

日本の神道と仏教の関係のように、この国では儒教と仏教が親しい関係にあるのかも知れない。そうして唯物史観共産主義に飽き足らない人々が更な精神生活を求め、こうした儒教、仏教の世界に入り込んでいるのかも知れない。熱心にお祈りしている人々の姿を見ると、特に若い女性が多く目に付くのも、そうした関係があるのかも知れない。
 
 
 
 
これは又怖そうな仏だが・・。
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一旦外に出て石碑の前で。
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何の石碑だろう。公紀と書いてあるから、それ程古い物ではなさそうだ。
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この山は石が豊富なのか、あちこちに立派な石碑が立っている。
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漢字で彫られているが、理解できない。
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笠の懸かる石碑。石文のようだ。
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