ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(19)メコンの河岸にて。

夕日がメコンを越えてタイの大地に沈んで行く。
イメージ 1
 
 
タイ側の住宅にも明かりがついてきた。
イメージ 2
 
 
ライトアップされる銅像と満月。
イメージ 3
 
 
堤防の上は幅広の道路になっている。
イメージ 4
 
 
ここでは若者達がスケボーに興じている。
イメージ 5
 
 
若者文化はアジアの田舎国にも広まっている。
イメージ 6
 
 
 
夕暮の一時、メコン河畔に立つ巨大な銅像の前の広場では、市民の多くが個々のグループを作ってダンスに興じている。6年前には無かった光景だ。そもそも6年前にはこんな立派な堤防も無かったし、その真ん中に立つ銅像などもなかった。どこの国の援助で出来た堤防か知らないが、国のインフラが進み、国民の所得が上がり、生活に余裕が生まれ、1日を終える夕刻、人々は誘い合ってこうした広場に集まり、ダンスに興じ、生きる喜びを感じている。

漸く太陽がメコンを挟んだ西側、タイの大地に沈んで行く。6年前、この河岸に坐って沈みゆく太陽を眺めていた。6年前は本当に静かな河岸で、夕涼みしている人も少なかった。河岸広場にあったレストラン群も夜の開業前で、がなり立てるような音楽も聞こえてこない。僅か6年の間で様相は一変した。変わらないのは、西日がタイの大地に沈んで行くことだけだ。

堤防の高さは以前とそれ程変わらないが、堤防の上部が幅広の道路になっていて、そこは現在車両の通行が禁止されていて、歩行者(自転車)専用の遊歩道になっている。広い所では20m以上もある自由空間。先刻の銅像前では、御婦人方がダンスに興じ、元のレストラン群に近い場所では、若者達がスノボーに興じている。コーラとマックが世界を席巻し、今やこうした若者文化も、アジアの片田舎の国にまで押し寄せている。

元のレストラン群は綺麗に取り払われ、今そこは衣料やお土産品のテント群に変わっている。その数数百。客の殆どが観光客と思われるが、ラオスの地方からやってきたお上りさんも中には混じっているかも知れない。ビックリする程の安い値段。流石織物の国だけあって、そうした繊維品、財布とかバッグ、民族衣装などが手ごろな値段で売られている。デザインの凝った、色鮮やかな財布が100円程度で売られていたので、お土産に4-5個買う。この程度の小型のものなら、この先の旅行にも荷物にはならないだろう。

6年前、バト―サイの2階の土産物店で、夏の上着5着を気張って買ったことを思えば、今回は可愛いものだ。当方の経済的な資力も6年前と比べたら、格段に落ちていることも事実だが・・。
 
 
 
 
ああ、以前のレストラン群が土産物のテント村に変わっている。 奥の白い建物がオーキッドホテルか?
イメージ 7
 
 
いろいろな雑貨、土産物が売られている。
イメージ 8
 
 
果物も豊富だ。しかし屋台の食い物屋は見当たらない。
イメージ 9
 
 
ホテルオーキッドの裏の通りに出て、夕食。
イメージ 10
 
 
ここはイギリス人がオーナーで、外人旅行者が多く集まっていた。
イメージ 11
 
 
餌をねだる猫が近づいてくる。
イメージ 12