ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(123)会稽山を眺め下山、茶店でランチ。

今朝越王殿に登る前に見た、古い書体で彫られた「古越龍山」の石碑。「古越龍山」とはここのことだったのか・・。
イメージ 6
 
 
王羲之「文筆塔」の5階から眺める「会稽山」。霞んではっきりは見えないが、この山容は会稽山に違いない。
 
 
 
下山道は登って来た時の反対側に下りる。
 
 
麓には静かな池があって、親子連れが遊んでいた。
 
 
 
今下りてきた山道がメインの登り口なのか、広い駐車場の先に幾つか店があった。
 
 
 
何店かある店の内、開いていたのはここだけで、残念!お茶しか売っていなかった。
 
 
 
店の奥さんは親切にも試飲させてくれた。
 
 
 
店の使用人が茶葉のさや(玄)を一つづつ取り除いている。大変な作業だ。
 
 
 
 
古越龍山も会稽山も紹興酒の商品名で有名だが、実際は山の名前である。「古越龍山」は今朝越王?の中の越王殿に登殿する際に、古い書体で彫られた石碑を見た。即ち、古越龍山は越王勾践が宮殿としたこの府山を言うのだろう。そして「会稽山」は昨夜ホテルに戻る前に食堂で飲んだ紹興酒だ。実際の山は紹興の南、今自分が立っている王羲之文筆塔に近い場所にある。

ひとしきり紹興市内を眺め、今朝の府山や市内の高層ビル、高速道路などに感心し、街とは反対の方角、即ち南を眺めると、住宅街の向うにぼんやりとした山影が見える。スモッグでぼんやりとしているのか、江南地方特有の水気を含んだ空気のせいか・・、いずれにしてもあのぼんやり見える高い山は会稽山に違いない。高さが1000mを越える山だから、見た感じはピッタリだ。しかも南方向には、今見えている山しかない。

会稽の恥を雪ぐ。呉王夫差との戦いに敗れた勾践はこの山に逃げ延びたが、結局夫差軍に追い詰められ、降伏した。その後の20年間が正に彼の臥薪嘗胆で、その間の西施等との連携で見事夫差を打ち破り、「会稽の恥」をそそぐことができた。今見ている目の前にある山がその会稽山だ。2500年前の戦闘、敗戦の屈辱、臥薪嘗胆、会稽の恥を雪ぐ。この戦いから800年後に生きた王羲之もここからこの山を眺め、何を思ったのか・・。

スモッグか水蒸気に霞む会稽山を眺め、塔を下り、下山する。今朝の府山同様、登って来た山道とは反対側に下山する。こちら側がメインの登り口だったのか、広い駐車場や出店なども幾つかあるが、しかし、何故かそれ等の店は閉まっていた。今日が休日なのか、参詣客が少なく閑古鳥にシビレを切らし閉店したのか・・。が、1軒だけ開いている店がある。何かお腹に収める物を売っているかも知れない、と行って見ると、残念。そこはキオスクではなく茶葉の売店だった。

折角来たのだからと、玉露とかプーアール茶、高山烏龍とかを見繕い、店の奥さんにどこか近くに食事する店はないか聞くと、この辺にはどこにも無い、と言う。今丁度これから昼飯を作るところだから、良かったら一緒に食っていけ、という。うーん~、それもありか・・。お腹も空いているし、食事代に見合うだけいっぱい茶葉を買ってやれば、ツーペイだろう・・。奥さんのお言葉に甘えることにした。

茶店の店先でトントンまな板を使って手際よく料理を作り、丁度出来上がった頃奥から旦那さんも出てきて、一緒の昼食。言葉は殆ど通じなかったが、こんな楽しく、美味しい昼食はなかった。願わくば、ここにビールが1本あれば最高なのだが、そんな贅沢も言えない。奥さん、旦那さんには心からお礼を言い、又、茶葉とは別に100元渡し、再開を約し、店を出る。この店には是非かもう一度来なくてはならない。そしてもう一度奥さんの手料理を味わいたいものだ。今度はビールを2-3本ぶら下げて。
 
 
 
 
店の奥さんがこれから食事を作ってくれると言う。
 
 
 
 
 
写真を撮られるのにははにかんでいた。
 
 
 
料理が出来上がった頃、旦那さんも奥から出てきた。
 
 
 
いやー、僅か10分位で豪華な昼食が出来上がった。
 
 
 
皆で一緒につついての食事。当方が加わったので、使用人は別の場所に移って食べていた。
 
 
 
いやー、美味しい昼食でした!
 
 
 
当方が立ち去る際、奥さんはいつまでも店先に立って、見送ってくれた。・・この日本人をどう思っていただろう・・http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/500/32/49/36/500_32493658.jpg?1392671669