ちゃおチャオブログ

日々の連続

ボロブドールへの3日間(16)ボロブドール下山ー土産遊歩道で。

ボロブドール出口付近の第一基壇の彫刻。
イメージ 1
 
 
 
肉感的で、表情豊かだ。
イメージ 2
 
 
 
獅子像なのか狛犬なのか、長い間の風雨に中半風化している。
イメージ 3
 
 
 
タイのお寺で良く見られる「ナーガ」(大蛇)の原型のようなものも見られる。
イメージ 4
 
 
 
この置物は又何だろう・・。
イメージ 5
 
 
 
押しひしがれた鬼のようにも見えるが・・
イメージ 6
 
 
 
 
 
約1時間の霊廟巡りは終わった。最後の最後まで石の彫刻に圧倒された。肉感があり、肉欲があり、エロチックであり、立体的な躍動感があり、芸術的色彩の強いものだった。去年インドを旅行したが、ベナレス近くのカジュラホーの彫刻遺跡を彷彿させるものだった。石の芸術。インドからカンボジアインドネシアベトナム(チャンパ)に至る、それは海のシルクロードが興る以前の、古代南アジアの石仏の文化圏、ヘレニズムの伝播、浸透であって、小規模ではあるがタイのピマーイ、コンケーン博物館でも同様の石仏を見た。

巨大な岩山をもう一度振り返り、別れを告げる。一期一会。ツアーガイドではないので、この様な遺跡にはもう殆ど二度と来ることはないだろう。今生の別れだ。巨大な石仏の小山を後に出口を出ると、すかさず小柄な中年の男が傍に寄って来る。両手にぶら下げた土産物の売込みだ。この遺跡は入口と出口が全く違った方角にあって、最初入場した時の入り口付近で、数人の土産物売り人が、煩く付きまとってきたが、当方つい、「後で、後で」と言って、追い払った内の一人が、出口に先回りして、当方が下山するのを待ち構えていたのだ。

当方、「要らない、いらない!」と言って、追い払っても、その男はしつこく付いてきて、「後で、と言ったじゃないか。後で買うと言ったから、この出口でずーっと待っていた。ハイ、これが1000円、こっちが1000円」と、英語交じりのたどたどしい日本語で食い下がって来る。両手にぶら下げた絵葉書のつづれ折りや、置物などを手に取って、当方の前方に立ちはだかって、押し売りをしてくる。日本人の「後で」という意味は「買わない」ということと同義だが、それは彼等には通じないようだ。いや、理解していたとしても、字句通り、「後で買うから」と自分に都合の良い解釈をして、当方に対して、先刻の約束の履行を迫ってくる。

出口から先約500ー600mに渡って、幅3-4m位の遊歩道があって、その両側には数百店の屋台やテントの土産物店が並んでいて、色々珍しい土産物や、骨とう品、民芸品等が並べられていて、丁度、伊豆の田舎の神社の夏祭りの時などに、参道の両側に並ぶ祭り香具師の屋台を思い出させるものがあったが、この男が煩く付きまとい、ゆっくりと見てもいられない。追い払っても、どこまでも付いてくる。もっと怖い顔、怖い目付きで拒否しないとダメなんだろう。この老いぼれ日本人は甘く見られているのか。

結局、折角の楽しいWalking Shoppingを台無しにし、逃げるようにして駆け足で通り抜けたが、それでも最後まで追いかけて来る。このシツコサは自身の人生を掛けているかのような執拗さだ。まあ、彼には家族もあり、生活も懸かっているのだろう。土産通りが終わった後も尚付き従ってくるので、多少は哀れに思い、3万ルピア、300円程を渡して帰ってもらおうとしたら、受け取らない。あくまで土産物を買ってくれと、絵葉書やら置物を取り出す。分かった、じゃ、その10枚綴りの絵葉書を半分にして、500円でどうだ! と言って、漸く、付き纏いから解放されることができた。

あー、残念だった。遺跡は良かったのだが、最後に、ウインドウショッピングの楽しみが半減した。しかし彼にも生活が掛かっているのだから、まあ、この遺跡に来てのタンブン、恵みとしておこう。下手に時間があって土産物店を覗き、ニセの中国製のバカ高いまがい物を掴まされるよりは、500円で人助けが出来たと思えば、余程かマシだろう。
 
 
 
最後にもう一度小山を眺め、外に出る。
イメージ 7
 
 
 
もう多分二度とは来ないだろう・・。余りにも遠すぎる。
イメージ 8
 
 
 
ああ、出口に続いて、沢山の土産店が軒を連ねている。
イメージ 9
 
 
 
約500-600mに渡って、両側には数百の土産店が店を出している。
イメージ 10
 
 
 
これだけ沢山の店があって、1日一体どの程度売り上げがあるというのか・・
イメージ 11
 
 
 
ここには蝉はいないが、樹齢数百年の古木だけが、人間の営みを眺め続けている。
イメージ 12