ちゃおチャオブログ

日々の連続

ニュージーランドの1週間(3)震災後のCHCH市内を通り「紙の大聖堂」へ。

モナベイル庭園からはCHCH市内を通り、「紙の大聖堂」に向かう。
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街中には、まだ倒壊したままのビルなども見える。
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この辺りには高層ビルが立ち並んでいたとのことだが、今は平地になっている。
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震災直後には、立ち入り禁止の「Red Zone」とされていた。
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残された建物も危険で、無人ビルとなっている。
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これが震災前の「大聖堂」。
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イギリス風の「モナ・ベイル庭園」の散策が終わって、次に向かったのは「紙の大聖堂」。変な名前の大聖堂だが、実は理由がある。それは今から丁度4年前の東北大震災に先立つ3週間前、この町を襲った大地震により建物の一部が損壊し、それに引き続く余震によって、修復不能の状態に陥り、オセアニア屈指の大聖堂は取り壊されることになり、その後、「紙で作られた」現在の聖堂が建設されたからである。尤も、紙と言っても、ペラペラの薄っぺらい紙ではなく、サランラップ等に使用されていた芯の厚紙で、云わば、厚紙のボードのようなものである。この教会を作ったのが日本人の建築家と言うから、驚きだ。

「庭園」とこの「紙の大聖堂」は同じ市内の中心部にあり、マイクロバスで10分位の距離であるが、その間、クライストチャーチ市の中心部を横切って行く。丁度当方が旅行中の先週、仙台で国連臨時総会が仙台市で行われたが、世界中から集まった首脳は三陸海岸の悲惨な状況を目の当たりにしたが、当方がバスから眺めるCHCH市内の状況も音字様な状態だった。復興中半と云うか、これからゆっくり始めて行こう、と言った、息の長い復興途上だった。30年後、三陸各都市とCHCHを見比べたら、人々はどんな感想を持つだろうか・・

CHCH,即ち、ChristChurchは、直訳すれば「キリストの教会」。この街にこの国最大且つエレガントな教会が建てられたのは、町の名前からして自然のことだった。教会は直ぐには再建されず、この「紙の教会」で10年間を守り、その間、Donation,人々からの寄付と喜捨を集め、従前を越える立派な大聖堂を建築する計画のようだ。教会の外壁には「Transitional Cathedral」、「一時的な大聖堂」とのプレートが掲げられていた。しかし、どこを探しても震災当時の崩壊寸前の記録写真を見ることは出来なかった。ガイドに聞かなければ、この場所が嘗ての震災前の大聖堂の跡地に建てられたものだ、とは知る由もなかった。

併せて言えば、この大聖堂の前に地元テレビ局のビルがあり、建物全体が崩壊し、中の語学学校で勉強していた多数の日本人留学生が犠牲になったのは記憶に新しく、バス乗降への途次、愁然とした気持ちにもなったが、今は建物の残骸すら残さず取り払われ、広い空き地となっているのは、先年、石巻の外港、埋め立て地を見た時の情景と同じだった。フラットにし、ゼロにし、悲しい記憶を遠くに押しやり、そこから再スタートしない限り、人々はやっていけないのかも知れない・・・



前方に見えるのは「紙の大聖堂」。
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サランラップの芯を集めて作られた教会だが、嘗てここには、当国一の大聖堂が建っていた。
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紙で出来た教会。Transitional Cathedral と出ている。日本人設計者の建設による。
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教会内部も全て紙で作られている。
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募金箱(賽銭箱)も紙製だ。
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ここは英国聖公会、Anglican Communionの教会だ。
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参詣者も紙の募金箱に募金している。
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このステンドグラスは、震災前の大聖堂に飾られていたものか・・
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