ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(25)キアンガンの戦争記念公園。

キアンガン村の平和公園は、台地の上に綺麗に整備されていた。
イメージ 1



30ペソの入園料を取るが、園内には誰もいない。
イメージ 2



公園内は広々と芝生が広がっている。
イメージ 3



入って直ぐの場所に戦争記念館がある。
イメージ 4



広場の一番奥、少し高くなった場所に平和記念碑が建っている。
イメージ 5



その横の平和の誓いの碑だ。
イメージ 6



ああ、前方の険しい山。四国山中を思い出す。
イメージ 7




ミニタクシーに案内されたラガウェイの簡易ホテルは、名前の通り、中国系の経営者だった。毛沢東の縁戚かどうかは知らないが、毛さんを思わせるオヤジで、交渉上手だ。当方以外に誰も宿泊客がいないのだから、安くすれば良いのに、バンガロー風になっている、手前のハットを案内し、600ペソ、と言って来る。冗談じゃない、こんな古いホテルで、もっと安くしろ、と言ったら、500ペソになり、結局はその半分の250ペソになった。約750円、妥当だろう。

リュックを部屋に置き、先ほどのバス停まで戻り、ミニタクシーの運転手と交渉し、川向こうのキアンガンへ往復したのは、前回書いた通りである。200ペソ、600円で往復してもらった。最初に行ったのが戦争記念公園。川を渡り、山の坂を上り、ラガウェイの中心部からは10キロ程々か。キアンガンの集落のほぼ中程の高台に公園があり、そこには戦争の記念碑と戦争記念館があった。公園自体は綺麗に整備されているが、来ている客は誰もいなかった。ここまで来る一般の観光客はいないだろうし、来る人と言ったら、旧軍関係者や遺族、戦争研究者に限られるだろう。月に何人訪ねてくるか、年に何百人の人がやってくるか、いずれにしてもそう多くはない訪問客の為に、公園は、全く綺麗に環境保全されている。どこからか、特別の予算でもでているのだろう。

この公園の一番高い場所から眼下を眺め、前方の峰を眺めると、この場所が四国大豊町へ祖谷の山並みを彷彿させる点は、前回書いたとおりだ。山下大将が逃避行の末、この場所を選んだ気持ちが理解できるような気がした。前方の山は険しく、人跡未踏にも見えるが、実際はイフガオの山岳民族が谷や峰に生活しているのだろう。それは将に平家落人部落のようにも思えた。眼下には段々畑が、底の谷川まで続いていた。ここから見れば谷川だが、下へ行って実際に見れば大河だ。キアンガン川は、吉野川にも擬せられた。この山奥で、独立軍団でも考えていたのだろうか・・。いや、そんなことはないだう・・・・。



野辺に咲く紅バラが綺麗だ。ここで多くの血が流された。
イメージ 8



山は深く段々畑が繋がっている。
イメージ 9



山の中はどこまでも丁寧に耕されている。
イメージ 10



どこまでも続く原野。
イメージ 11



この急坂での畑。祖谷以上だ。
イメージ 12



段々畑は下を流れる河原まで続いている。
イメージ 13

イメージ 14



さて、次に小学校に行って見よう。
イメージ 15