ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(48)Crisologo Museum,Vigan.

後で、1階に行って分かったことだが、この博物館は、この町出身の下院議員、Crisologo氏の家族の生活の場だった。台所があり、その奥に食堂が見える。
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台所の奥にはトイレなどもある。
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ああ、これは昔風の大型冷蔵庫だ。
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これは家族の食卓か・・。
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ああ、子供部屋のベッドだ。
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ビガン旧市街の住宅街の中にひと際古めかしい建物があり、見るとMuseum、と表札されていたので、時間に任せ入って見たが、どうも古い生活什器を集めた民芸調の博物館のようだった。入口から直ぐに2階に上がる階段があり、先に2階に回って幾つかの部屋の展示物を眺めたが、それは見るからに金持ちのスペイン系大家族の系統を引いた豪華な住宅の跡だった。

2階から1階に降りて、改めてこの博物館の生い立ち、謂れ、などを見ると、そもそもこの博物館は「Crisologo Museum」という名前だ。Crisologoとは人の名前で、1階には彼の大きな執務室が保存されていたが、元々この家は、Crisologo家族が住んでいた場所で、現戸主Floro Crisologo氏は、この町出身の下院議員だった。執務室の解説によれば、1970年10月、この町の大聖堂で祈りをした時、何者かに射殺され、その後家族はこの住宅を博物館として寄贈した、とのことだった。執務室には暗殺当時の、床に倒れ、頭から血を流している生々しい彼の写真、新聞記事等々が掲示されていた。

フィリピンの血塗られた歴史。情熱的なスペイン人の血を引いているのか、現代フィリピン人も短気で、血気盛ん。何かあれば直ぐにもピストルを取り出し、ズドンと1発。それですべての問題は解決できると思っているようだ。現フィリピン大統領の父親、コラソン上院議員もこのCrisologoが暗殺された頃、マニラ空港で暗殺されている。有名人に限らず、身近な知人間でもトラブルの最終的解決手段としてピストルが物を言う。過去何人の日本人旅行者が銃弾に斃れたか・・。この歴史資料館で、前世期の人々の生活様式を眺めると同時に、フィリピンの裏面に流れるピストル文化の恐ろしさも感じた。



彼の背広なども保存されている。かなり大柄か・・
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ああ、ビールとクーラーボックス。
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1階は彼の執務室兼書斎になっていた。
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1970年、彼が射殺された当時の新聞、写真等が展示されていた。
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記念館の1階コーナーに小さな土産コーナーがあり、切れそうなPety Knifeをお土産に買って、記念館を出た。
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