ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(22)台南安平古堡熱蘭遮城(Fort Zeelandia).

安平古堡展望台から台南の街を眺め、搭を降りる。
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古堡のあちこちには当時の大砲が展示されている。
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展望塔の横には資料館があった。地元、台湾の大学生か・・。
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400年前の台南の俯瞰図。長崎出島のような感じだ。
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日本が台湾を併合後のこの堡塁の修復、保存等についての記載があった。ただ気に入らないのは、英文訳で、「Japanese Colonization」とされていることだ。
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この島を最初に発見したポルトガル人は、「Formosa」、「麗しの島」と名付け、現在も正式名は「中華民国」であるが、英語名では「Formosa」と呼ばれているが、丁度「日本国」の国名が英語では「Japan」と呼ばれるようなものだろう。この「Formosa」を漢字で書くと「美麗島」。それは高雄の地下鉄の駅名にもなっていて、昨夜見たように、天井のアクリル絵画は世界で一番美しい駅とも言われている。

美麗島」。安平古堡の展望室から台南市内を眺め、市のずっと先の雨霧に霞む山並みを見て、400年前、鄭成功が活躍した当時のこの島の美しさを想像した。人口もほんの数千人、一面に緑に覆われていたことだろう。オランダ人がこの場所に今ある城塞を作った時は、自国の名前を取って「Fort Zeelanndia」と呼ばれていた。漢字では「熱蘭遮城」(ジーランシャ)と書かれていた。鄭成功倭寇の力などを借りてオランダ軍を打ち破り、ここを居城とした。近松門左衛門の国姓爺合戦では「和藤内」(わとうない)と呼ばれていた。それは「和人でもない唐(藤)人でもない」、即ち「台湾人」を意味していた。

暫らく展望室から大発展している台南を眺め、その傍らにある「熱蘭遮城」資料館に入った。明治以降、日本治世下になってから、今まで荒れ放題だったこの城塞を修復し、整備し、戦後もまだ関りがあった点が好意的に解説されていた。しかし1点だけ気になった点は、「日本時代」を英文では「Japanese Colonization」と訳されていることであり、これは明らかな誤りである。「併合」と「植民地」は明らかに間違いであり、日本政府は台湾当局に然るべき訂正を求めるべきと思った。

資料館を出ると入口付近にプルメイラが今を盛りに咲いてた。これも又南国の花。バリ島、べサキ寺院の境内で沢山見たのを思い出す。香りは見た目ほどにはしないのだが・・。

展望塔の下の平地にもう一つ展示室があり、オランダ時期、明鄭時期、清朝時期、日本時期(ここでは日帝とは表現されていない。)と年代別の展示もあり、ざっと一巡して、この古堡を後にした。

さて、来週火曜日(8月25日)からは鄭成功の生まれ故郷、平戸を訪問する。彼と倭寇の仲間が活躍した壱岐島九十九島等を訪問してくる予定だ。来週初めには、台風15号が九州地方に近づいていて、果たして島に渡れるだろうか・・。いや、そうなったら、平戸湾、松浦湾から17世紀の荒海を想像すれば良い、



台湾の歴史は、実際400年程前、オランダの東インド会社がジャワ(バタビア)からやって来て、ここに城塞を築いてからスタートしている。
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オランダ以前の大航海時代の土器、焼物。この中には、日本の堺商人の貿易船などの遺留品もあったに違いない。
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当時、「ジーランド城」(Fort Zeelanndia・熱蘭遮城)のジオラマ鄭成功の活躍が偲ばれた。
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外へ出ると、プルメイラが満開に咲いていた。
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プリメーラ、ああ、夾竹桃の仲間だったのか・・
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