安平古堡展望台から台南の街を眺め、搭を降りる。
古堡のあちこちには当時の大砲が展示されている。
展望塔の横には資料館があった。地元、台湾の大学生か・・。
400年前の台南の俯瞰図。長崎出島のような感じだ。
日本が台湾を併合後のこの堡塁の修復、保存等についての記載があった。ただ気に入らないのは、英文訳で、「Japanese Colonization」とされていることだ。
この島を最初に発見したポルトガル人は、「Formosa」、「麗しの島」と名付け、現在も正式名は「中華民国」であるが、英語名では「Formosa」と呼ばれているが、丁度「日本国」の国名が英語では「Japan」と呼ばれるようなものだろう。この「Formosa」を漢字で書くと「美麗島」。それは高雄の地下鉄の駅名にもなっていて、昨夜見たように、天井のアクリル絵画は世界で一番美しい駅とも言われている。
「美麗島」。安平古堡の展望室から台南市内を眺め、市のずっと先の雨霧に霞む山並みを見て、400年前、鄭成功が活躍した当時のこの島の美しさを想像した。人口もほんの数千人、一面に緑に覆われていたことだろう。オランダ人がこの場所に今ある城塞を作った時は、自国の名前を取って「Fort Zeelanndia」と呼ばれていた。漢字では「熱蘭遮城」(ジーランシャ)と書かれていた。鄭成功は倭寇の力などを借りてオランダ軍を打ち破り、ここを居城とした。近松門左衛門の国姓爺合戦では「和藤内」(わとうない)と呼ばれていた。それは「和人でもない唐(藤)人でもない」、即ち「台湾人」を意味していた。
暫らく展望室から大発展している台南を眺め、その傍らにある「熱蘭遮城」資料館に入った。明治以降、日本治世下になってから、今まで荒れ放題だったこの城塞を修復し、整備し、戦後もまだ関りがあった点が好意的に解説されていた。しかし1点だけ気になった点は、「日本時代」を英文では「Japanese Colonization」と訳されていることであり、これは明らかな誤りである。「併合」と「植民地」は明らかに間違いであり、日本政府は台湾当局に然るべき訂正を求めるべきと思った。
資料館を出ると入口付近にプルメイラが今を盛りに咲いてた。これも又南国の花。バリ島、べサキ寺院の境内で沢山見たのを思い出す。香りは見た目ほどにはしないのだが・・。
展望塔の下の平地にもう一つ展示室があり、オランダ時期、明鄭時期、清朝時期、日本時期(ここでは日帝とは表現されていない。)と年代別の展示もあり、ざっと一巡して、この古堡を後にした。
「美麗島」。安平古堡の展望室から台南市内を眺め、市のずっと先の雨霧に霞む山並みを見て、400年前、鄭成功が活躍した当時のこの島の美しさを想像した。人口もほんの数千人、一面に緑に覆われていたことだろう。オランダ人がこの場所に今ある城塞を作った時は、自国の名前を取って「Fort Zeelanndia」と呼ばれていた。漢字では「熱蘭遮城」(ジーランシャ)と書かれていた。鄭成功は倭寇の力などを借りてオランダ軍を打ち破り、ここを居城とした。近松門左衛門の国姓爺合戦では「和藤内」(わとうない)と呼ばれていた。それは「和人でもない唐(藤)人でもない」、即ち「台湾人」を意味していた。
暫らく展望室から大発展している台南を眺め、その傍らにある「熱蘭遮城」資料館に入った。明治以降、日本治世下になってから、今まで荒れ放題だったこの城塞を修復し、整備し、戦後もまだ関りがあった点が好意的に解説されていた。しかし1点だけ気になった点は、「日本時代」を英文では「Japanese Colonization」と訳されていることであり、これは明らかな誤りである。「併合」と「植民地」は明らかに間違いであり、日本政府は台湾当局に然るべき訂正を求めるべきと思った。
資料館を出ると入口付近にプルメイラが今を盛りに咲いてた。これも又南国の花。バリ島、べサキ寺院の境内で沢山見たのを思い出す。香りは見た目ほどにはしないのだが・・。
展望塔の下の平地にもう一つ展示室があり、オランダ時期、明鄭時期、清朝時期、日本時期(ここでは日帝とは表現されていない。)と年代別の展示もあり、ざっと一巡して、この古堡を後にした。