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日々の連続

成都の3日間(25)三国志の英雄群。

武候祠正面の正殿から右の方は回廊のようになっていて、三国志時代に活躍した王侯、武将の像が展示されている。
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添乗員の解説もなく、又、時間も忙しく、ゆっくり見ることもできなかった。
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誰が関羽で誰が張飛かも分からないが、兎も角パチパチ写真を撮って置く。
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以前三国志も読んだことがあったが、細かい情景はもう殆ど忘れてしまっている。
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類いまれな英雄が中国の大地を縦横無尽に活躍した、というおぼろげな記憶だけが残っている。
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後漢末、中国は国が乱れ、各地に群雄割拠し、相争っていた。日本では邪馬台国卑弥呼の時代に当る。各地の英雄豪傑は徐々に淘汰粛清されてきて、最後には呉魏蜀の3国に収斂されて、漢の後継を争うことになった。最終的に魏が中国を統一するまでの凡そ80-90年間が三国志の時代である。日本人には後世、明の時代に書かれた三国志演義が有名で、今のように漫画の無い時代、里見八犬伝と並んで、痛快読物として、多くの日本人に愛読されていた。

中国正史「三国志」は有名な司馬遷の「史記」、漢書後漢書に続く国の歴史書で、その三国志の中の一つ、「魏志倭人伝」には、邪馬台国からの朝貢、魏の使者の邪馬台国までの行程、即ち地誌、その他諸々の倭人に関する習俗等々、3世紀後半の日本に関しての興味深い記述が満載で、邪馬台国はどこだったかの比定は今なお論争として今日まで続いている。

ここに並べられている武将、太守、皇帝親族等は、この三国志の中の蜀書の中に皆描かれている歴史上の人物で、皆それぞれ智謀に優れ、後世にまで名を留めている。最も有名な諸葛孔明は別にしても、関羽などは神に祭り上げられ、「関帝廟」として、世界中の中華街には霊廟が作られ、何故かしら、商売の神様として崇められている。日本の横浜、神戸、長崎の中華街にも当然ながら関帝廟は存在する。

ガイドの解説もなく、漆喰像が並べられているだけで、誰が史書に出てくる誰なのかは不明であるが、これ等の中には当然、兵1万力の張飛や、泣いて馬謖を切るの馬謖、諸葛の右腕趙雲馬超馬良もいることだろう。後年、吉川栄治も「三国志」を書いて好評を博したが、彼が執筆前にここ成都の武候祠までやってきたかどうかは知らないが、着想力の豊富な吉川なら、ここまでやって来なくても、波乱万丈の英雄達を生き生きと描くことができたに違いない。そんなことを想像しながら居並ぶ英雄像を見ながら回廊を進んだ。



大体、誰が劉備で誰が孔明かも区別がつかない。
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この顔は見たような覚えもある・・。どこで見たっけか・・。馬謖だったか・・。
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ああ、孔明のようだ・・。
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諸葛孔明、稀代の軍略家だ。
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軍略家とも思えない実に品のある顔立ちだ。
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