BS8で、その会議の座長、御厨東大名誉教授と、石川教授が討議を行う。石川教授は憲法学者だけあって、切り味は鋭い。まっとうな議論だ。一方の御厨さん、テレビ慣れしているのか、陛下のことを「彼」呼ばわりして、それが3回もあった。後半からは陛下と尊称で呼ぶようになったが、座長としては如何なものか。むしろ石川先生のような人を有識者会議のメンバーにすべきだ。
各テレビでは、陛下のこの1年を振り返る映像を流す。中でも印象的なのは、フィリピン訪問で、戦没兵士の碑のまえで、遺族会事務局の本間さんにお言葉をかけ、本間さんも感極まった様子。本人が馬rふぇて間もないころ、父親がフィリピンへ出征。爆弾を抱えて戦車に体当たりし、25歳で戦死した。
糸魚川で大火。折からの強風で火は燃え広がり、約150棟の家屋を焼失する。幸いに犠牲者が出なかったことが幸いだったが、お正月を前に焼きだされた人は大変だ。年を越せない、話が現実のものになりつつある。
焼失面積では、神戸震災等の災害を除いた自然火災では、戦後の記録に残る大火災となった。
火元は風上にあるラーメン屋からの出火だが、中華鍋を空焚きにして店を出て、自宅へ戻ったそうだ。火をつけたまま持ち場を離れるとは、料理人にあるまじき行為だが、不作為がなければよいのだが・・。
江戸時代、8代将軍吉宗の時代には、放火が数多く発生した。緊縮令の不景気で、物が動かず、ワザとあちこちで放火が発生し、建築等の需要を喚起していたようだ。放火は重罪で、テレビでもおなじみの鬼平犯科帳、火盗改めが活躍していた。
今の処、ラーメン屋の故意は不明だが、中華鍋に火をつけたまま持ち場を離れる行為は、間違いなく重過失には当たるだろう。
今日の陛下のお言葉でも、この糸魚川火災の被災者へのお見舞いの言葉を述べられていた。