ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(80)南越王石室へ。

中山王と南越王とのコラボ展示室出ると、中庭に出た。
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ここは博物館の3階部分にあたり、前方に地下向かう入り口が見えた。
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ああ、ここが南越王の王墓へ向かう入り口なのだろう。
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地表部分はガラスルームになっていて、地下の状態がジオラマにんっている。
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地下へ向かう階段だ。
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中山王と南越王のコラボ展示室からは一旦外の内庭に出る。この博物館は小山の斜面を利用して建てられていて、部屋を出た所の内庭は建物の3階部分の高さに相当する。秋の午前とは言え、南国の太陽がまぶしい位だ。中庭の前方に透明ガラスで覆われた出入り口が見える。斜面の土の中に入り込むような構造に見える。あそこが地下空間に通じる階段に違いない。

その出入り口まで行くと予想通り、そこは斜面の地下に掘られた石室、中国では王墓と言っているが、そこに繋がっている階段だった。出入り口の地表部分はガラスルームみたいになっていて、この地下の埋設物等に関しての写真パネルなどが展示されている。その中央付近に地下に向かう斜坑の階段が口を開けている。一人だったらちょっと怖かったかも知れないが、何人かの客もいて、下の暗がりから登ってくる入館者もいる。心配ない

茶色の粘土質のような土が削られ、掘り下げた坑道を地下に向かう。ぞくぞくするような気持ちだ。以前、飛鳥の石舞台の穴倉に入ったことがあったが、それよりも期待度が高い。年代も古いし、規模も大きい。石舞台はいわばなだらかな丘に野ざらしの状態で放置されている感じだったが、ここは全くの地中で、トンネルのような坑道になっている。規模の大きさと壮麗さからすると北京郊外の明の十三陵、地下宮殿には全く敵うものではないが、それは年代と王権の規模からしてやむを得ないことだろう。

地下空間は幾つかの小部屋に分かれていて、小さな子供用の部屋、后の前室、一番奥の最も広い部屋が王墓、南越王の部屋となっている。部屋の大きさは3坪~5坪程か。それ程広くはない。又、高松塚のような極彩色の絵画が壁面に施されている訳ではなく、色あせた紗色の壁だった。朱色の丹、辰砂は古代では魔除けに用いられ、日本の墳墓にも多く使用されていたが、その原型なのだろう。2000年前のミイラがここに横たわっていて、2000年の時を経て、現代になって蘇った。エジプト、カイロ博物館でツタンカーメンのミイラを見た時と同じような感興を覚えた。



ここから先が地下の王墓坑道だ。
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この扉の向こう側に王墓がある。
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赤茶けた岩肌は辰砂を塗った跡だろう。
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子供の部屋、后、夫人の部屋等の一番奥に王の部屋があった。
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陪葬者の遺骨はバラバラになって採取された。
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2000年の時を経て、南越王は現代に蘇った。
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