ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(99)広州「六榕寺」の九重の塔と本殿・祖師堂。

真下から九重の塔を見る。確かに高い。
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搭の解説は五本語でも出ている
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その説明によると、この搭は1097年に築造され、高さは57.6mの高さがあり、「千仏宝塔」と呼ばれているとのこと。
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1000年の宝塔か・・。よくぞ現存した。
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搭の構造とか建築美は分からないが、こんな所にも蛙股とか風鈴も見える。
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こうした建造技術は、日本の五重塔建設にも生かされたに違いない。
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ああ、裳階も見える。
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昨日ブログの知人キムチさんからこの六榕寺の九重の塔に関するコメントがあり、地震国日本では九重の塔は珍しい、との感想が述べられたが、確かに日本で木造の九重の塔を見ることはないだろう。国宝奈良興福寺五重塔、八坂の搭も五重塔。京都最古の醍醐寺国宝も五重塔だ。そう言えば醍醐寺、今頃は醍醐の桜で賑わっているだろう・・。

昔は日本にも七重の搭があり、東大寺の大搭も創建当時は七重であったが今は喪失し、現在の日本で見られるのは殆どが五重塔だ。去年海老名へ行った折、駅前に嘗て相模国分寺にあった七重の搭を模したものが建てられていたが、面白い趣向だった。奈良朝時代には各地の国分寺に七重搭が建造されていたが、今は現存する搭はない。尚随分以前に奈良桜井多武峰談山神社を訪問したが、そこには十三重の塔が現存していて、それは確かに十三重の廂を備えてはいたが、それ程高くはなく、各地で見てきた五重塔の半分にも満たない高さだった。その前後に見て回った室生寺の国内最小の五重塔と変わらない高さだった。それは兎も角、この搭の前で中大兄と鎌足が蹴鞠で遊び、その後の日本国家誕生のきっかけになった場所としての感慨の方が深かった。

だからここ六榕寺で、その狭い山門を入って最初に目に飛び込んできた搭が、今まで日本の国内で見てきた搭よりも随分高いものと感じ、即座に七重搭と思ったが、それは間違いであって、実際には九重の塔だった。その九重塔を真下からしげしげと眺める。確かに高い。今まで見てきた日本のどの搭よりも高い。搭の説明は日本語でも出ていて、それによるとこの搭は1097年(平安末期)に建てられた、外観は九層だが、内部は17階で、57.6mの高さがあるという。日本の五重塔は大体30m前後だから、その倍近い高さだ。中には五百羅漢が供せられ、故に「千仏宝塔」と呼ばれ、2006年には中国国務院により国家重要文化財に指定されたとのことである。

中国のバベルの塔。1000年近く前に、これ程の高さの搭を建造する財力と技術力。自分には九重搭の構造や建築美は分からないが、こうした建造物が1000年の長きに亘って現存し続けた価値は高いだろう。文化大革命時代、紅衛兵の打ち毀しによくぞ遭わなかったものだ・・。葉剣英の君臨していた広州は矢張り別天地だったのか・・。その後、本堂、祖師堂等の伽藍を眺め、仏にお参りし、境内を周遊した。



九重塔の後ろの本堂にお参りする。
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寄進、喜捨が豊富なのか、贅沢な作りだ。
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中の仏さまも金綺羅金だ。
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施無畏、観音信仰なのか・・。
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凄い贅沢なざぶ(座部)だ。
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搭の裏側にある祖師堂。
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この寺の祖師は誰だったか・・。先刻の解説文に出ていたが・・
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