ちゃおチャオブログ

日々の連続

摩・大隅の旅(15)西郷墓所からの眺め。

南洲神社参道には随分モダンな街灯が建っている。
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何か謂れが書いてあるが、鹿児島に最初に電気が導入された頃の街灯のリモデルか・・
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墓地を挟んで神社の反対側には記念館が建っている。
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その脇を通り抜け、奥の一段高い台地に行くと、綺麗に整備された小公園になっていた。
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竹林を主にした休憩用の小公園のようだ。
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小公園では視界が妨げられていたが、記念館まで戻ってくると、直ぐ近くに城山が見えていた。
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この南洲神社の参道にはモダンなデザインの街灯が建っている。年末年始、或いは夜間の参詣者が足元に困らないように設置されているのだ。石灯籠が普通の神社の明かり取りになるが、ここはモダンだ。ガス灯のような感じであり、電気に代わる以前はガス灯で照らされていたのかも知れない。

墓地を真ん中にして南洲神社の反対側には立派な資料館、記念館が作られている。元々この墓所までやって来る人は数少なく、記念館にも人気はなく、閑古鳥が鳴いているような静けさだ。その館の脇を通り、後ろの高台に上る。綺麗に剪定された竹林になっている。竹と西郷との関わりについては当方全く不明だが、この丘の一番高い場所を綺麗に整地し、竹林公園にしているのは、何らかの彼との関りがあるのだろう。熊本からの敗走の際、こうした竹藪で難渋したとか・・。

竹林公園は周囲を竹林とか雑木に囲まれ、視界は開けていないが、又、元の墓地まで戻ると、最初に右手の直ぐ近くに城山の森が見えてくる。案外近く、距離にして2-3キロか。この丘のような台地も当時は戦場になったかも知れない。城山とこの墓地との間の窪地には、今はびっしりと住宅が建っている。緩やかな傾斜はシラス台地だ。今日、鹿児島空港に着陸する直前飛行機の中から見えたシラス台地と同じ地層帯だ。大雨の時などよく地滑りが発生しているが、ここの住宅地は大丈夫だろうか。

墓地を後ろから眺めると、矢張り相当な数の墓石だ。昨日のブログに自分は墓石数を2千有余名と書いたが、これはどこかで見た記憶に基づく数字で、メモした訳でもなく、その記憶は間違いかも知れない。先刻の南洲神社前の招魂碑には7500有余名の戦没者名が刻印されていたが、今見るお墓も同数の7500有余基かも知れない。多くの若者の地が流された。意味のない無駄な戦いだったのかどうなのかは、自分には判断すべき術を持ち合わせてはいないが・・。

その墓地の向こう側に桜島が大きく迫ってきている。先刻城山で見た時よりは、数キロ近づいているので、その分迫力が増したのか・・。西郷も若き御霊も毎日こうして桜島と対峙している。いや、今日の日和を話し合っているのかも知れない。薩摩隼人桜島に育まれ、桜島と共にあり、最後は又桜島に見守らている。鬼籍に入っても幸せに違いない。



この西郷墓所と城山の間に広がる住宅地。シラス台地らしく緩やかに波打っている。
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墓地を背後から眺める。相当な数の墓石数だ。2000数基は間違いで、7500数基が正しいのかも知れない・・
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墓地の正面には桜島が大きく迫ってきている。
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戦乱に斃れた幾多の御霊も毎日こうして桜島と対話できる幸せを感じているかも知れない。
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薩摩健児、薩摩隼人の家並が眼下に広がる。
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