ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(32)城山より夜景を眺め、西郷洞窟に参る。

霧島神宮展望台から参道に戻ると、既に夕闇が迫っていた。
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参道下の商店街も既に人影はない。
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石段下から神宮に再拝し、鹿児島に戻る。
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途中隼人町で渋滞がひどく、吉野家に寄って夕食を食べる。
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ホテルに戻る前にもう一度城山に登り、夜景を眺める。
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広々とした夜景ではあるが、やや光に乏しい。
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桜島を照らす夕日を眺め踵を返すと、もう参詣者は殆ど消えていて、車に戻るべき長い参道には全く人影も見えない。両側の杉の木立が鬱蒼と茂っていて、少し不気味な感じもするが、まあ、お宮だからお化けは出ないだろう。参道下の商店街の前に止めておいた車まで戻ると、もう他の車は1台もなく、土産店の半数以上は既にシャッターを下ろしている。日中の賑わいは想像するしかないが、夕刻の人の絶えたお宮も商店街も侘しいものだ。参道の石段の下からもう一度宮を見上げ、車に乗り込む。

神宮は霧島高原の台地上にあり、JR霧島神宮駅に向かって、狭い国道を殆ど真っ直ぐだらだら坂を下って行く。車の無かった時代、人々は駅からこの緩い勾配の坂道を約5ー6キロゆっくりと歩いて登ってきたのだ。駅を過ぎたあたりから道路も賑やかにんってきて、車両も多くなる。今はこの辺り一帯は霧島市となっているが、以前の国分町隼人町が合体して出来た新しい市だ。国分という名前の通り、ここが二つの国境になっていて、国道の左側が大隅国、右側が薩摩国である。隼人町薩摩隼人以来の由緒ある地名であるが、今は霧島市の一行政区となっている。

今日12月16日は日曜日。隼人町の国道は夕方からの食事客で大渋滞。車が中々先に進まない。鹿児島の人は土曜日ではなく日曜日に家族総出で外食に出るようだ。道路の左側に丁度吉野家の看板が見えたので、ここに寄って夕食を食べることにした。食事を終えてからも渋滞はそれ程解消されてはいないが、鹿児島市に近づくに連れ渋滞も収まってきて、昨日夕方やってきた磯御殿、集成館辺りまで来ると渋滞も無くなっていて、真っ直ぐ市内に入ることができた。その間、桜島は窓の左側に黒々とした山肌を見せていた。山中には人家が全くないので、漆黒の黒だ。

ワシントンホテルには駐車場がなく、市内のどこかに一晩止める駐車場を探さなければならないが、昨日市内を歩いた限りでは、駐車場はあちこちにあって困ることはないだろう。で、ホテルに戻る前にもう一度城山に登ってみる。今度はバスと違って車だから5分も掛からずに山頂直下の駐車場に着く。駐車場には2-3台車が止まっていたが、何人かも夜景を見にきているのだろう。

街路樹の光が薄ぼんやりと照らす林道を抜けると、展望台に出る。眼下一面に鹿児島市内の光が広がっている。一見の価値はあるが、それでも神戸の夜景、函館の夜景から比べたら田舎の町だ。写真に収め、帰りの途中に西郷洞窟に立ち寄る。西郷が最後に自決した場所。夜の街灯に照らされている。誰もいないので、少し背中にゾクゾク感はあるが、目の前の道路を時々は車も通り過ぎる。案内板を詳しく読む心の余裕もなく、1枚だけ写真を撮る。「おはんらにやった命」。西郷らしい言葉。西郷の特徴をもっともよく表す言葉。国に殉じ、薩摩の人々に殉じた稀代の英雄。黙祷し、洞窟を離れた。



直下の繁華街はそれなりに賑やかだ。
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人口50万人程度の街、・・こんなものだか・・
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帰りに西郷洞窟に立ち寄る。
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西郷終焉の場所だ。
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西郷はここで死んだ。黒々とした洞窟がポッカリ口を開けている。
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西郷辞世の言葉か・・。「おはんらにやった命」。
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