ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(148)パンプローナは牛追い(フェルミン)の町。

広大な城址公園を通り抜けて行くと、市の中心部に出る。
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市の繁華街に近い場所、公園の端に大きなバスターミナルがる。
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パンプローナバスターミナルは、この城址公園の地下を駐車場にした大きなものだ。明日は、ここからバスでバルセロナへ戻ることにしよう。
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バスターミナルの先には市の繁華街に出る。
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それ程大きな都市ではなく、繁華街といっても、大きな高層ビルはない。
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パンプローナの地名を知っている日本人はそれ程多くはない。マドリードバルセロナの大都市以外にも、アルハンブラ宮殿で有名なグラナダ古都トレド、アンダルシア、バレンシア地方の各有名都市と比べたら、ここパンプローナは格段に知名度は低い。ただ自分は今回のイベリア半島の旅行に際しては、ここは是非訪問したい町の一つと考えていた。だから日本出発前に、今日の6月12日、この町に泊まるべくホテルを1泊予約していた。

この町に立ち寄ってみたい、と考えていたのは、もう随分以前の学生時代、ヘミングウェイの「陽はまた昇る」を読み、実は短編の「老人と海」は英語の原文で読んだのだが、随分苦労して、中身の内容の半分ほども理解できなかったが、この「陽は昇る」は更に長編で、原文の英語ではとても無理と最初から諦め、翻訳文で読んだのだが、その中にこの町のことが書かれていた。ピレネーの山を下り下りてきた場所にある大きな町で、フェルミン、牛追いの祭りが紹介されていた。いつかテレビの映像で、その牛追い祭りが放映されていたが、毎年、けが人もでるという、長野の諏訪大社の神木落としよりも更に激しい追い落とし、追いかけ祭りで、強く印象に残るものだった。

更に後年、多少宗教関連の本なども読む機会が出てきて、そんな中、ザビエルとロヨラバスク人で、この町の近くのバスク出身と知り、興味を持った。実は翌日の明日、パンプローナからバルセロナへバスで戻る際、隣り合わせに乗り合わせたナバラ人から、ザビエルはバスク人ではなく、ナバラ人だと強く主張され、当方の認識を新たにしたのだったが、いずれにせよザビエルがこの地方の出身者と知って、機会があればどんな町なのか、見てみたい気持ちもあった。

又、ここはスペイン巡礼の道の出発点にも当たり、ここをスタートして約800キロの巡礼道を何泊もかけて最終目的地のサンチャゴデコンポステラに至る起点になる町で、当方、今回の旅行では最初にサンチャゴへ行き、最後にこの町に来たのだが、四国巡礼で言えば逆打ちの形になり、自分は現実には巡礼はしなかったものの、逆打ちも又面白いのではないか、との発想もあった。

10年ほど前、自分の親しい友人、荻野、里島、山之内の3人がスペイン巡礼の旅行に旅立ち、自分もその巡礼に誘われてはいたが、当時、公私に忙しく参加することが出来なかったが、その3人がマドリード、サンセバスチャン経由で、最初に来た町がここパンプローナであった。自分も遅ればせながら10年経った今、訪問したいと思った。彼等3人に会う機会があれば、当然、この町のことや、巡礼の話など共通の話題として、共有できるだろう。

それやこれやこの町にやってきた理由は幾つかあり、複合的に合わさったものだが、今、この大きな城塞公園を横断しつつ、市の中心部へ向かって歩いていると、そうした旅行前の目的意識も鮮明に思い出された。城塞公園の繁華街側に、大きなバスターミナルがあり、そこを過ぎた辺りが市の中心部になっていて、そこには、大きな牛追いのレリーフが飾られていた。サン・フェルミン! 流石パンプローナのシンボルだけのことはある。更にその少し先に、ナバラ王国の嘗ての行政府広場があった。

さて又時計はこの時の旅行から10か月後の4月の今日に戻り、明日4月13日、又新たな旅行に出る為、このイベリア旅行記は明日から暫く休止する。今度の旅行はインド経由でネパールのカトマンズを訪問する10日間の旅だ。今はもう登山できる体力はないが、天気が晴れて、間近でチョモランマ、世界最高峰の雪山エベレストが見られることを願う次第である。



市の中心部に近い場所にあるマンション群。
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大通りには大きなレリーフが飾られている。
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近づいてみると、ああ、牛追い祭りレリーフだ!
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サンフェルミン! 迫力満点の彫刻だ!
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この牛追い祭り像の直ぐ先には、ナバロ王国、旧行政府広場がある。
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