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日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(46)プラーナーキラー城内の霊廟。


プラーナーキラー城内の霊廟は近くで見るとかなり大きなものだ。
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左右対称のドームの下は祈りの場だ。
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天井にもびっしりと細密画が描かれてる。
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この開かない扉の向こう側に神が居ます。
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ムガール帝国の宗教はイスラム教。彼等はモスレムだ。元々はアジアの地、モンゴルからスタートした蒙古人は、西域を侵略し、中近東に至り、と同時に彼等の生活様式は現地化し、宗教観も砂漠の中の宗教、イスラム教に帰依するようになり、モスレムとなった。現在インドには20数か所の世界遺産があるが、その内7-8か所の遺跡がムガール帝国関連のもので、それ等は皆アラビア様式の建造物で、中にはミナレット、塔のように高い尖塔の上から、定時的にコーランが高音響で流れてくる、礼拝の塔を持っていて、それ等の遺跡は明らかにインドヒンドゥー、仏教遺跡とは異なったものであり、インドの中に於ける異国的なものになっている。先刻の大統領府周辺の官庁街が、全くインド的でない、どこか外国の都市を思わせるようなものと同様である。

近づいてみると霊廟はかなり大きな建物だ。ビルで言えば3階建て、屋根の一番高い部分は4階建てにも相当するだろう。巨大な建物は、彼等モスレムの富の象徴、バチカンのサンピエトロとメッカの大ドームのどちらが大きいのかは、自分には分からないが、メッカでは巡礼者を牛詰めにすれば100万人も収容可能と言われるから、自分の頭ではその大きさも想像できないが、イスタンブールでもマレーシアでもインドネシアでも、モスレムは巨大なモスクが自慢の種になっている。ここプラーナーキラーはムガールがインドに侵入した初期のころの建物で、上記に挙げたようなバカでかさはないが、それでも500年前のインドだったら、目を引く大きさであったに違いない。

偶像崇拝が禁止されているイスラム教では、その建物様式、芸術は特異な進化を遂げ、アグラにあるタージマハールやスペイングラナダアルハンブラ宮殿のように建物は左右対称、シンメトリックで、芸術は線描、細密に進化していった。このプラーナーキラーの霊廟も同じで、神らしき像はどこにもないが、それに代わって、何か抽象的なイメージで神の存在を暗示するかのように、左右同型の蓮型の半ドームの中心に向かって流れるような描線が集中していって、その奥に何かが潜んでいるかのような想像を掻き立てる。モスレムはこの霊廟の半ドームの下で、その中心の窪みに向かって日に何回となく、日に6回は祈りを捧げていたのだろう。



赤砂岩と大理石でできた立派な聖堂だ。
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正面から見ても堂々たる建物だ。
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聖堂前の庭園も広々としている。
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城内にはh半分朽ちたような建物も残っている。
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