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八坂寺正面に廻り、参内する。小さな小川にかかる朱色の橋がある。
- 八坂寺山門はこの朱色の橋の上に造られている。
- 山門を入って直ぐの場所の神変大菩薩、則ち役行者を祀る御堂がある。
- 松山市有形文化財の宝篋印塔。
八坂寺本堂、大師堂でのお参りを済ませ、次は本日最後の霊場西林寺に向かう。時刻はまだ4時。ここからは約4キロ。道さえ間違えなければ車で10分も掛からないだろう。5時の山門閉門には十分間に合う時間だ。先刻、この八坂寺に来た時は、駐車場から脇の抜け道を通って境内に入ったが、少し時間的な余裕も出てきたので、改めて正門へ回り、正面からこの寺に参内することにした。この寺は歴史も古く、また役行者開山ということもあってか、嘗ては修験道の根本道場として栄えていたとのことである。流石に8つの谷坂を寺領に収めただけのことはある。
正面に廻ると、小さな赤い橋がある。参宮橋のような感じの朱色の橋だ。その小さな橋に似合って、小さな小川が流れている。何かままごとのような感じでもあるが、ここが正規の参道だから、一礼し橋を渡る。橋の上に装飾された山門が掛かっているが、これが嘗ての修験道の根本道場とはどう見ても似つかわしくない。山門を入った右手に庫裏があり、ここで納経帳に印を頂くのだが、先刻の1000基にも及ぶような膨大な数の墓石に触れ、随分沢山の檀家を持っていて、すごいものですね、と寺僧に話しかけたら、その若い寺僧は、いやいやあの墓は檀家とは関係ないですよ、霊園ですよ。土地を造成し一般公募した分譲墓地ですよ、と少し苦笑いしながら答えてくれた。
成程、分譲墓地か・・。それであれだけの数のお墓が・・。東京と余り変わらない・・、と得心した。であるとすれば、あれだけ広い駐車場も理解できるものだった。その庫裏の向かいには、笹垣で囲まれた宝篋印塔があり、何か鎌倉時代のものであり、現在松山市の有形文化財になっているという。再びその朱色の橋を渡り、八坂寺を後にした。
今度はナビを間違わないようにセットし、標準装備の高速道使用を外し、一般道路でルート検索し、車を走らせた。この八坂寺、その前の浄瑠璃寺は松山市内とは言え、市の中心部からは随分と離れた郊外にあるが、次に行く西林寺は市内に近い場所にあり、どんどん街の中心部に向かって進んで行く。しかしどこをどう間違ったのか、重信川という大きな川のそばの南高井病院という総合病院の敷地の中に迷い込み、病院関係者に聞いて、漸く場所が判明した。時に4時半、参拝にはまだ十分時間はある。