日本のお城はどこから見ても美しい。
大手門を大きくさえぎる巨大石。
これは加藤石だったか・・。穴太衆を引き連れた加藤清正でなければ出来ない巨大仕事だ。
旧大手門より向かう。
秀吉の自慢の最後の逸品。
大勢の武将が自ら進んで作り上げた日本最大のお城。
そのお城も戦禍に焼け落ちたとは、この土地の背負う宿命だったのか・・。
この城を歩くのは何年振りになるだろう。もう20年以上も前になるのか・・。しかし何年経ってもこの雄姿は変わらない。日本の城の建築美は世界に誇れるものだ。日本の建築造形として世界に誇れるのは、均整のとれた五重塔と、優雅であり、武骨であり、シンボルであるお城の美しさだろう。
京橋口から三の丸に足を踏み入れると、四角に切られた大きな石がごろごろしている。この巨大石は大阪築城の頃、四国の屋島、庵治の港から台船に乗せられ、淀川を上ってここまで運ばれて来たのだろう。20数年前にはもっと沢山の巨大石が転がっていたが、今は半分以下に少なくなっているようだ。
「うたかたの夢」、なのかも知れない。秀吉がこのお城に住んで2年、身は露のごとく消えて行き「難波のことも 夢のまた夢」となって、今このお城は大阪市民の大きなシンボルとなり、市民に開放され、心の拠り所となり、上阪する観光客の欠かせない観光ルートとなっている。かの秀吉もこの400年先のことどもまで見通せただろうか・・。
お城の横の旧市立美術館。ここは確か最初の大阪市役所ではなかったのか・・。お城を下りた森の宮口には今存続の危機にある大阪市交響楽団の旧野外演奏場もある。・・橋下市政下で既に廃止の憂き目に遭っているのか・・。いずれにしてもこのお城の天守閣は、時代の流れを見つけつけてきた。ああ、そう言えば、秀吉の前にも信長との本願寺上ノ台攻防戦があったのも、ここだった。いやいや待てよ、そのずっと前の守屋と入鹿の戦いもこの場所で行われたのだろう・・。
京橋口から三の丸に足を踏み入れると、四角に切られた大きな石がごろごろしている。この巨大石は大阪築城の頃、四国の屋島、庵治の港から台船に乗せられ、淀川を上ってここまで運ばれて来たのだろう。20数年前にはもっと沢山の巨大石が転がっていたが、今は半分以下に少なくなっているようだ。
「うたかたの夢」、なのかも知れない。秀吉がこのお城に住んで2年、身は露のごとく消えて行き「難波のことも 夢のまた夢」となって、今このお城は大阪市民の大きなシンボルとなり、市民に開放され、心の拠り所となり、上阪する観光客の欠かせない観光ルートとなっている。かの秀吉もこの400年先のことどもまで見通せただろうか・・。
お城の横の旧市立美術館。ここは確か最初の大阪市役所ではなかったのか・・。お城を下りた森の宮口には今存続の危機にある大阪市交響楽団の旧野外演奏場もある。・・橋下市政下で既に廃止の憂き目に遭っているのか・・。いずれにしてもこのお城の天守閣は、時代の流れを見つけつけてきた。ああ、そう言えば、秀吉の前にも信長との本願寺上ノ台攻防戦があったのも、ここだった。いやいや待てよ、そのずっと前の守屋と入鹿の戦いもこの場所で行われたのだろう・・。
本丸広場からのお城の眺め。
旧大阪市役所の古風な建物。
石垣も見事だ。
二の丸公園の里桜。
中国人観光客も楽しんでいる。
もう多分訪れることは無いであろうお城に別れを告げる。