ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(30)日本人墓地で思う事。

日本人墓地、戦没者霊園の中央には立派な白亜の慰霊堂が建立されていた。日本政府に出来ることと言ったらこの程度のことか・・。
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霊園の女性に促され、焼香する。
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昨日、今日の訪問客の記帳ノート。
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園には人もおらず、音楽も流れず、鳥も鳴かず、静かに陽光が降り注いでいた。
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この別天地のような静寂の中で、飢えと苦しみ、マラリアで死んでいった数多の兵士の無念の死を思った。
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誰もいないヤンゴン戦没者霊園。どこで見ていたのか、霊園の女性二人が当方が入って来たのを目ざとく見つけ、霊園の端のほうの小路を足早に走り、正面の慰霊堂に行き、床などを掃き清め、線香を上げて当方がやってくるのを待っている。1日何人かやってくる日本人の為に、ひがな1日来園者を待ち、こうしたサービスで生計を立てているのだろう。今は平和な時代だからこうしたこともできる。

掛りの女性に言われるがまま焼香をし、冥福を祈り、幾ばくかの線香代を納め記帳する。今日は既に二人の訪問者があった。昨日は4人も来たが、その前の日も、その前々日も誰も参拝者はなかった。観光施設ではないので、特別な思いを寄せる人しか訪ねてはこないのだろう。

いつか今日のような夏の日、鶴岡郊外にある石原莞爾の墓蹟を訪ねたことがあったが、旧居の裏の林の中にひっそりと作られた土饅頭のお墓は、戦争犯罪者として戦後死ぬまでこの地を離れず、静かに死んでいった故人を偲ぶにふさわしいものだった。それに比べこのビルマ戦を指導した牟田口廉也の生き様はどうだったのか・・。無謀な作戦計画の中、部下の進言には全く耳もかさず、威張り散らすだけが権化のような無能な将官の下、あたら数万の将兵が野に果てた。その無念さは想像を絶するが、この牟田口は最後まで謝罪の言葉を口にせず、却って自己の作戦の正当性を主張し続けた。これが日本陸軍の陸士、陸大のエリートの生き様であった。今は地獄で煉獄の苦しみを味わっているに違いない。

こうした血も涙も無い人間を生んだ戦前のエリート軍人教育。価値観の逆転したカタワな人間、非人間を大量生産していったエリート軍人教育。国が戦争と言う一方向に傾き、国民はそのツールに過ぎない。命は鉄砲玉よりも軽いものだった。エリート教育で根に付いたそうした人命軽視の思想は牟田口に限らず多くの将軍を生み、その結果ガダルカナルがあり、人間特攻があった。戦後の日本人はこの場所で、或いは広島、摩文仁で不戦を誓わなければならない。それがこの灼熱の地で無惨に死んでいった5万有余の御霊を慰めることになる。

戦争を美化してはならない。この様な巨大なモニュメント、慰霊塔など必要ない。巨大な慰霊塔の陰に隠れるようにして日本風の小さな墓石が並ぶ小路を歩き、死者を悼み、今日の日本の繁栄の礎を作ってくれた先人の犠牲を思い、出入口のゲートに向かった。今また日本は戦後のエリート教育で同じ過誤の道を歩いているのではないのか・・。
 
 
 
 
 
静かに燦々と降り注ぐ太陽。奥の方に日本のお墓がある。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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南国の花プリメーラ
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息子や兄弟、父親を亡くした遺族の無念は如何ばかりか・・。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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遠くに放し飼いの鶏もいる。 鳴き声すらも立てていない。
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ハイビスカスも又無言に咲き乱れている。
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無人の休憩室。タクシー運転手が所在無げに待っている。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
 
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最後にもう一度慰霊堂に黙礼し、この場所を後にする。 http://static.app.widdit.com/images/features/searchwiddit.png
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