ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(51)インワの遺跡巡り。

インワの斜塔を下りて、再び馬車に乗り、田舎道を行く。
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道路のあちこちにインワの古い遺跡が散在している。
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真白の仏塔には今でも僧侶が住んでいるようだ。
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1000年の都は廃墟になっても、仏塔だけは今も輝いている。
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後方にインワの塔も見える。
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悄然たる思いでインワの塔を下り、又々塔の下で待ち構えている小さな子供から日本で言えば巡礼鈴のような3連の鈴を買い、再び馬車に乗って田舎道を進む。この辺りは昔王都があったところで、数々の遺跡が散在している。インワの旧名はパーリ語でラトナ・プラと言って、「宝石の町」の意味だったが、今雑草地の中に見える白い仏塔は往時の繁栄を偲ばせるものがあった。

ガイドブックを見ると、ここインワには1364年に初めてビルマ族の王都が建設され、その後約400年間ビルマ族の王都として栄えたが、1752年にモン族の攻撃を受けて破壊され、更に1838年の大地震で壊滅的な被害を受けて、1841年、この近くにあるアマラプラへ遷都して以降、ここは打ち捨てられた古都となっていた。

雑草の中に姿を見せる白い仏塔。仏教が実に輪廻の思想で栄枯盛衰、1000年の繁栄も今やうたかたの夢、草生す中に今もなお僧侶は庵を結び、滅びを祈り、超えて行く。離散した王都の民が今もなおこの仏塔に住まう僧侶に喜捨し、数百年も前に建てられた仏塔も昨日出来上がったかのように磨き上げ、仏に帰依している。仏への帰依が栄枯盛衰、輪廻を超えるものとして。

ビルマの竪琴」のストーリーは大方忘れてしまったが、真の仏教とはそういうことかも知れない。人も文明もいずれは滅ぶ。諸行は無常。大きなプールの跡が今も残っている。王族のうたかたの夢。1000年の古都は滅び、今尚そこに生きていた。
 
 
 
 
これは王族のお墓かも知れない。
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昔王族が使っていたプールの跡も残っている。
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往時の賑わいを彷彿させるものがある。
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近くを流れる運河。イラワジに繋がっている。
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岸辺に咲く花も1000年の栄枯盛衰を見て来たか・・
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