ちゃおチャオブログ

日々の連続

ビルマ・マンダレー特急旅行(53)アマラプラの長大橋。

エーヤワデーの湖畔に架かる橋に向かう。
イメージ 1
 
 
 
日本で言えば江戸時代末期。この国にこんな大きな橋が建設されていた。
イメージ 2
 
 
 
どこから集まってきているのか、大勢の観光客が橋を渡る。
イメージ 3

 
 
ヤンゴンのお寺でもそうっだたが、ここはミャンマー人一色。外人の姿は全く見られない。
イメージ 4
 
 
 
橋の中程にはこうした屋根付の休憩場所などもある。
イメージ 5
 
 
 
 
随分以前に宮崎県の綾町、椎葉村の山間部の手前にある綾地鶏で有名な田舎町だが、その山の中に当時日本一長い吊り橋があって、人の振動でぶらぶら揺れる感じで最初の内は少し怖い思いもしたが、次第に慣れてきて、終いにはロープから身を乗り出すようにして椎葉の深い谷底を覗き込んだこともあったが、日本は観光目的だけの為にその様な山中に長大な吊り橋を作ったりするが、ここミャンマーのアマラプラにある長大橋は今から150円程前、エーヤワデーの大きな湧水湖を横断できるように、歩行者専用の実用橋として造営された。

しかし今では実用はそっちのけで、ミャンマー人の観光客用にメインテナンスされているようだ。過去150年の間には、何回かの洪水もあっただろうが、今もこうして木の橋げたを地中に深く突き立てている。タイにしてもミャンマーにしても、この辺りの大河は平地の中を流れているので、洪水と言っても日本のように木や石や家までも一緒くたに押し流す奔流になるのではなく、じわじわゆっくり水位を上げていくので、今日まで流失を免れているのかも知れない。

ミャンマーの観光資源と言ったら寺院と自然の景観。人工の文化財はそれ程多くはないのだろう。これ程の沢山の観光客がどこから集まって来たかと思えるほど、大勢の人がこの幅3mにも満たない木の橋の上を行ったり来たりしている。そう丁度自分が10数年前に椎葉の吊り橋を渡ったり、つい先日は又北茨城の竜神橋を渡ったりしたが、それと同じ感覚で、ミャンマーの人々も、そこにこの国一番の長大橋があり、その橋の上を歩くことのみが目的で、大勢の人がここまでやってきている。

それは今自分自身が人々に混じって橋の上を歩いている気持ちと同じだ。日本で一番長い橋、この国で一番古くて長い橋、マジソン郡の屋根付の橋、ポンヌフ、ポンテベッキオ、Goldengate Bridge.名の知れた橋を渡る気持ちは変わらない。橋は端と端を結ぶもの。そんな意識はなくとも百道に通ずるものかも知れない。しかし今はこの「うー・べイン橋」1.2キロを渡り、対岸まで行って又戻って来るのはシンドイ。今朝から既にマンダレーヒル、ザカインヒルと、二つもの小山を登っている。河畔でドライバーも待っていることだし、途中から引き返そう。橋の云われ、橋の精神性が分かっただけで十分だ。
 
 
 
 
橋の周辺の眺め。
イメージ 6
 
 
 
豊かな田園が広がる。ひろびろとしているから、これ程多くの人が集まって来ていても、雑音、雑踏が感じられなかった。
イメージ 7
 
 
 
裸で水遊びする子供達。おちんちん丸出しだ。
イメージ 8
 
 
 
この橋も又記憶に刻まれる。
イメージ 9
 
 
 
思い出を胸にマンダレー市内に戻った。
イメージ 10