これから豫園に入るが、その前に「豫園商場」を通り抜けなければならない。
ここはいつ来ても大勢の人と凄い賑わいだ。
中国人のエネルギーが圧縮されたような場所の一つである。
ネギさんの思い出の場所にて1枚。
当方も又1枚。
20数年前最初に上海に来た時も今回のようなツアーだったが、上海周辺のツアーにはここ豫園が必ずと言ってよいほど、コースの中に組み入れられている。従って、豫園に来たのはかれこれ3-4回になる。最初に来た時驚いたのは、この豫園の前に広がる商業施設、中国語では「商場」又は「商城」と言うが、その賑わいだった。
当時は金を扱う金行が多く、金のチェーン(喜平)や金塊、金の置物や飾、等々、まばゆいばかりの黄金色の輝きで、中国人はお金がある所には途方もないお金があって、膨大な金取引が成立しているのだなあ、と感心したものだった。当時の中国の経済力はまだ日本の半分以下で、街にはまだあちこちに貧しさが残されていたが、ここ「商場」は別世界の観を呈していた。
いつかのツアーで、「上海小龍包を食べる旅」などと副題に銘打ったトラピックスのツアーなどもあり、その時はこの商場内の有名小龍包の店に来て、何種類もの小龍包、多分10種類以上はあったと記憶しているが、出され、それを目的に来たツアーのメンバーの一人などは、自分の生涯の夢が果たせた、との思いでそのふかしたての小龍包に目を細めていた。もうかれこれ10年になるが、豫園に入る前のこの商場を歩くと、過去のそうした出来事なども思い出された。
外観の形は20年前と殆ど変らないが、中の業種は時代と共に変わってきているのか、幅広く占めていた金行はやや勢力を縮小し、代わりに食堂とか、お上りさん目当ての土産店、外人客用の雑貨店、などが増えて来つつあった。そうした商場の賑わいを横目で見ながら、足早に進み、いよいよこれから中国3大庭園の一つである豫園に入ることとなった。
当時は金を扱う金行が多く、金のチェーン(喜平)や金塊、金の置物や飾、等々、まばゆいばかりの黄金色の輝きで、中国人はお金がある所には途方もないお金があって、膨大な金取引が成立しているのだなあ、と感心したものだった。当時の中国の経済力はまだ日本の半分以下で、街にはまだあちこちに貧しさが残されていたが、ここ「商場」は別世界の観を呈していた。
いつかのツアーで、「上海小龍包を食べる旅」などと副題に銘打ったトラピックスのツアーなどもあり、その時はこの商場内の有名小龍包の店に来て、何種類もの小龍包、多分10種類以上はあったと記憶しているが、出され、それを目的に来たツアーのメンバーの一人などは、自分の生涯の夢が果たせた、との思いでそのふかしたての小龍包に目を細めていた。もうかれこれ10年になるが、豫園に入る前のこの商場を歩くと、過去のそうした出来事なども思い出された。
外観の形は20年前と殆ど変らないが、中の業種は時代と共に変わってきているのか、幅広く占めていた金行はやや勢力を縮小し、代わりに食堂とか、お上りさん目当ての土産店、外人客用の雑貨店、などが増えて来つつあった。そうした商場の賑わいを横目で見ながら、足早に進み、いよいよこれから中国3大庭園の一つである豫園に入ることとなった。
入り組んだ路地のような店舗が連なっている。
ああ。小龍包の店があるが、ここが以前来た店かどうかは分からない。
どこの店も客で満員だ。
巨大なマーケット、中国人の元気さに圧倒され商店街を通り抜ける。
さて歩くこと5-6分、いよいよ豫園にやってきた。