ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(51)月湖の靄。

月湖は、このような細長い形をしている。
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公園入口には巨大な大理石像が立っている。
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ああ、これは又斬新な彫刻品だ。
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遠くのビルも春の靄に霞んでいる。
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ああ、釣りをしている人がいる。
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ああ、大勢の人が釣りを楽しんでいる。
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月湖にやってきた。この公園は縦に細長く、形が途中でくびれた状態にもなっていて、どことなく三日月型になっているので、「月湖」と呼ばれている。古くからある庭園で、唐の時代にはすでに存在していたので、遣唐使、留学僧などもこの公園を散策しただろう。杭州の西湖程は有名でないとしても、この街の人、或いはこの街を訪れる旅人の憩いの場になっていた。

公園に入ると正面に大きな大理石像がたっている。軽やかに天を舞うような姿。ギリシャ・イタリア彫刻は骨太の肉体美、がっしりした立体感のあるものが多いが、この像は、それら西洋彫刻に匹敵するような躍動感のある、芸術性の高いものだ。現代中国の水準の高さを思わせる。舞踏の神「Muse」ならぬ月の神「Crescent」だ。

薄く靄がかかっている。江南地方は湖沼、河川が多く、こうした朝霧が立つが、こうした朧の情景こそ江南に相応しい。今問題になっている北京の排気ガスPM0.2ppmとは全く質の違う、江南の春の情景だ。三日月像を通しての遠方のビルなども靄に霞んでいる。元々は湿潤な土地で、過ごし易い土地柄なのだろう。

水べりを歩いていると、大勢の市民が釣りに興じている。仕事も無く閑だから朝からこうして釣り三昧をしているのか、それとも今晩の酒の肴に釣っているのか言葉も通じないし、良くは分からないが、着ている身なりとか、釣り道具などを見ていると、貧しさはどこにも感じられず、釣りを単にレジャーとして楽しんでいるようだった。釣り好きの太公望がどこの湖で釣りをしていたのかは知らないが、昨夕の凧揚げ同様、釣りも中国では古くからのレジャーの一つであり、人々の生活の中に定着しているようだった。
 
 
 
釣り上げた魚はこんな小物であるが・・
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靄に霞んだ街が見える。
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朝日まで靄に隠れている。
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江南に相応しい幻想的な眺めだ。
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湖も釣り人以外は静かなものだ。
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寧波もこうして眺めると幻想的だ。
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