ちゃおチャオブログ

日々の連続

みのもんた氏を追いやったものー日本人の心に巣くう貧困。

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昨日の記者会見でみのもんたさんがTBSの朝ズバ、サタズバを降板する旨、涙ながらに発表した。40数年のテレビ人生を振り返りつつ、今こうしてテレビ界から去って行くことの淋しさ、悔しさ、無念さを、言葉を詰まらせながら、吐露していた。
 
毎朝楽しみにしていた朝ズバ、2ヶ月ほど前の息子の不祥事で司会を一時休業するようになってから、みのさんのいない朝ズバなど、ワサビが抜かれた寿司か刺身のようで、殆ど見ていないが、多くの視聴者もそうした思いをしていたに違いない。みのさんと言う強力なキャラクターを欠いた番組など、もう既に本来の番組で無くなっている。
 
今回事件(息子の窃盗)が報道されて以降、世論は二分されていた。というか、当初はみのさんに同情する意見が多かったように思う。二十歳を過ぎ、家庭も持っている成人が犯した犯罪を親が責任を取る必要があるのかと。個人主義の観点から言えば、息子と親は別人格で、息子の罪に連座する必要はないと。
 
一方で、みのさんに対する厳しい意見も多かった。テレビで、あれ程正義ズラをして、ズバズバ物を言っていた人物が、家族のことになると途端に歯切れが悪くなり、立場を替えて物を言うのはおかしいではないか。息子のことになると途端に口をつぐむのはみのさんらしくない。だったら、テレビに出て、大きな口を叩くべきではないと。
 
みのさんが一定期間休業すれば、こうした攻撃も下火になるだろう、と予想していたが、予想に反し、マスコミ界の攻撃は下火になるどころか、むしろ激しくなっていった。その矛先は、テレビ人としてのみのさんに対するものを越えて、個人的な、家庭的な、やっかみ的なものに変貌して行った。
 
テレビで綺麗ごとを言っているが鎌倉に豪邸を構えているとか、休業中にも拘わらず、息子と銀座を飲み歩き、豪遊している、とか・・・。テレビ界ではみの天皇で、社長以下役員は腫れ物に触るような応対をしているとか・・。
 
息子の不始末を親がどこまで責任を取るべきか、取らなければならないか、の本質論から離れ、マスコミは完全な個人攻撃、人格破壊となってきた。
 
数週間自問自答していたに違いないみのさんは昨日の会見で、親としての責任を明確にし、従って、子が幾つになっても犯した間違いについて、親としての責任を取り、テレビ界からの引責辞任を表明した。去年奥さんが60歳そこそこの若さで亡くなり、相談するパートナーもおらず、辛い数週間を過ごしたであろう、疲労感が表情に現れていた。妻がいないことの大きな痛手、子の責任を一人で負わなければならない責任の重さ、そうした様々な苦悩と疲労がにじみ出ていた。みのさん、ご苦労さん、これからはゆっくり余生を過ごして下さい。毎朝3時に起きる重労働からも解放されて下さい。
 
それにしても貧しいのは日本人の心、マスコミ人の賤しさだ。濡れ犬に鞭打つ、他人の不幸は蜜の味、成功者へのやっかみ、妬み、嫉妬。ちょっと傾けば、みんな寄ってたかって袋叩きで、倒してしまう。みのさんのような巨人でもこの圧力には抗しようもなかった。
 
みのさんがテレビ界で成功し、年俸数億円を稼ぎ、鎌倉に豪邸を建てようが、海外に別荘を何個持っていようが、良いではないか。それと息子の事件とは全く関係ない。みのさん自身の能力で稼ぎ出した収入であり、財産だ。どんなところに住もうが、豪遊しようが、他人が口を差し挟むべきことではない。
 
成功者のみのさんの足を引っ張る人々の欲求があったからマスコミはそれに媚びる形でみの攻撃を繰り返していたのか・・。或いは、マスコミがみの叩きを更に高めることにより、読者数を増やそうとしていたのか、どちらが先かは分からない。しかし言えることは、みのさんをテレビ界から追放するという、日本人の心の貧困、成功者を喜ばず、レベルを下げることにより納得する心の貧しさだ。マスコミ、テレビ界の誰か一人でもみのさんを擁護する人は出てきてくれないか。日本人の心の貧しさを誰か打破してもらいたい。
 
 
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