ちゃおチャオブログ

日々の連続

八王子城址と小田原城。

八王子城址の高台から関東平野を眺める。新宿の高層街が春霞に浮かんでいる。
 
 
 
小田原もこのはるか先、地平線上にある筈だが・・・
 
 
 
二の丸から眺める小田原城
 
 
 
天守閣を間近に眺める。
 
 
 
相模灘の先に太平洋が遥かに広がっている。
 
 
 
この海岸線の先に鎌倉がある。
 
 
 
ああ、この出っ張りは真鶴岬。更にその先に石橋山がある。
 
 
 
 
 
ハイキング仲間とほぼ月に1回は八王子城址公園に行き、その城山でお昼を食べて、高台から関東平野を眺め下山しているが、この八王子城址は「城址」と名が付くように、以前、ここには城郭(山城)があった。秀吉の天下平定の折、城攻めに遭い落城し、その後、徳川時代に入って、この山城全体が棄却、打ち毀しになり、長らく荒れ果てた雑木林の状態になっていた。辛うじて「城址」という名称に相応しい体裁と、周辺整備がされるようになったのは近年のことであり、まだ数十年も経っていない。最近ではこの裏びれた城址も今時のお城ブーム、歴史ブームの波に乗り、館跡が再築されたり、山上の天守閣に通じる登城口が整備されるようになり、全国からのお城好き、歴史好きの人々を集める程になってきた。


八王子城址公園」(
http://blogs.yahoo.co.jp/ciao3776/8629291.html


この八王子城が落城した際の城主は北条氏照北条早雲から始まる相模北条氏の3代目氏康の三男として生まれ、ここ八王子城主に任じられてからは、数々の武功を立てたが、秀吉の小田原征伐に際し、ここ八王子を配下の重臣に任せ、自らは小田原に馳せ参じ、同城落城に際し、切腹、打ち首となったものである。小田原落城の直前、ここ八王子城も豊臣軍に打ち破られ、城中にいた3000人の婦女子が殺害され、目の前の渓流に投げ捨てられた伝説も残っている。

こうして八王子城址に登る都度、過去の落城時のことや北条氏のこと、本城の小田原或は支城の滝山、等々を思うのだったが、今日はその本城、小田原城に久しぶりに来た。最初に来たのは高校生の頃だから、もう半世紀も前、50年以上の昔になる。当時は戦後の混乱期から漸く立ち直った昭和30年代、各地に鉄筋コンクリートのお城が再築され、その一つにこの小田原城があった。真白の漆喰壁はまぶしかった。

その後数回ここへやってきたが、天守閣にまで登ったのは最初の時だけで、後は城内を散策し、下からお城を見上げるだけだった。今日は小田原での用事も案外早めに終わり、時間も十分ある。半世紀ぶりに天守閣に登ってみよう。そうさせたのは、日頃行っている八王子城址の北条との繋がりが後押ししたのかも知れない。

近時のお城ブームか、思ったよりも人が多い。どこの誰とは分からないが、この中の何人かは、全国お城巡り、100名城の旅人もいるかも知れない。戦後早い時期の建築でエスカレーターの設備はなく、4階までの長い階段を休み休み天守に登る。5月の快晴。天守からは四海が眺められた。元よりこの高さは北条4代の頃の天守の高さでもなく、江戸時代を通じ、藩主であった大久保時代の高さでもない。否、むしろ度重なる地震で倒壊した後の貧弱な天守とは比べものにならない位立派な現代の天守だ。

しかしそうは言ってもここから眺める四周の景色は今も150年前も450年前もそう変わらないだろう。東に広がる相模灘、波静かな太平洋がどこまでも広がっている。当時既にスペイン船、ポルトガル船は日本近海に来航し、世界の中の日本の位置、小田原の所在は、地理的概念として北条四代や大久保藩主には理解されていただろう。この遥か東に広がる海を眺め、彼等はどう思ったろうか。又北条籠城戦時、海を埋め尽くす九鬼水軍の軍艦を見、利は我に非ず、と氏照も悟ったに違いない。

更に右手を眺めれば、伊豆半島の海岸線がくっきりと浮かび、嘗ての古戦場、石橋山も間近に見える。成程ここから房総は今日は霞んで良く見えないが、海上の道は指呼の間なのだろう。更にその右手は箱根の峻嶮な山の稜線。大雄山が深く切り込まれた谷の先に納まっている。更にその右手、即ち海とは反対側には丹沢の峰々、その切れ端、最右端には津久井もあれば八王子、鉢形もあるのあろう。氏照もここから八王子落城の火煙も眺めたに違いない。北条四代百年の栄華はこの時をもって終焉した。


今案内書を見ると、この城は昭和35年に8000万円で建てられたとのこと。当時の8000万円がどの位の価値があったのか判断できないが、今の8000万円だったら都心のマンションの一部屋の値段だ。「絹の道」は小田原の手前からそれて横浜に結ばれた。八王子と小田原。今天守に立って眺めれば一つの線で結ばれている。
 
 
 
 
ああ、ここから見る箱根の山の峻嶮さ。
 
 
 
ああ、丹沢山塊だ。
 
 
 
遠方の山の麓の辺りに八王子がある筈だが・・
 
 
 
あれ、何年か来ていない内に小田原駅も随分モダンな駅舎に改装されている。
 
 
 
 
うーん、見晴らしの良い天守閣だった。
 
 
 
このあすなろは樹齢何年になるのだろう・・
 
 
 
常盤門。これは最近になって再築されたものだ。
 
 
 
明治初め、一度は廃城になったが、今は見事に復元されている。日本百名城の一つに数えられて当然だ。