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日々の連続

トルコ史跡巡りの旅(10)トロイ「円形スタジアム」と再度の「木馬」。

アテナ神殿の隣には今、円形劇場、「オデオン」が姿を現している。
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ギリシャ時代のこの時代は、ローマ時代の格闘技等を協議する「コロシアム」ではなく、歌舞演劇を行う「演劇場」=「オデオン」と呼ばれていた。
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紀元前の遥かな昔に市民を楽しませるこうした娯楽施設が造られていたとは!
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日本の田舎芝居、田舎歌舞伎とは規模が違っていた。
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再び駐車場出入り口の木馬までやってきた。
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 昨日ブログの知人嵐子さんからこのトロイ遺跡の中の「アテナ神殿」についてのコメントがあり、それに対して当方から返事を出して置いたが、それは今から2300年前、かのアレキサンダー大王が、ペルシャ軍との戦いを前にして、この場所で牡牛1000頭を戦勝の捧げものとして犠牲にした、との史実があることで、そうした紀元前の歴史的事実が、眼前に彷彿する遺跡群であった。それは同じように長い歴史を有する中国にも言えることであって、洛陽や西安長安)等を観光しても感じたことであった。

古代ギリシャについてのイメージはアテネ、スパルタ等を代表とする独立した都市国家、古代哲学者の文人国家、というイメージが強いが、実は案外知られていない面で、海洋国家、通商国家、商業国家でもあった。エーゲ海、通称多島海は、日本の瀬戸内同様、波静かな島嶼海で、島と島の行き来は船に頼らざるを得ず、当然、航海も発達していた。航海に関してはそれ以前のフェニキア人、キプロス人の時代から受け継がれてきたものでもあったが、ここ小アジアの地はすぐ前がエーゲ海で、現に海岸線の直ぐ先の島まで現在でもギリシャ領となっている。有名なロード島などは、トルコの海岸線から僅か10数キロの距離である。

このトロイの場所はダーダネルス海峡の出口の直ぐ傍のアジア側にあり、イスタンブール、以前の東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブル(ビザンチン)がボスポラス海峡の直ぐの欧州大陸側に位置していると同様の好立地の場所にあり、一時この場所が首都として候補にも挙がった、とのことである。

ギリシャ人は紀元前の遥か昔より、そのエーゲ海を初めとして、地中海、黒海アドリア海等々に通商し、その沿海部の各地に植民都市を作り上げて行った。後年ローマとの大戦争になるチュニジアカルタゴなどはその代表的な都市の一つであるが、ギリシャとは目と鼻の先、ここ小アジア海岸線の古くからある都市も、元々の発祥は、このギリシャの海外植民都市であった。

従って、この町にもギリシャ神話の勝利の女神、アテナを祀る神殿もあり、円形スタジアムもあった。この時代のスタジアムは円形劇場の「オデオン」で、後年のローマ時代の闘技場「コロシアム」とは呼び方が異なるが、ここでは主に歌舞演劇とか演説等が行われていたようである。「オデオン」の呼び方は、今でも日本の映画館のでは「オデオン座」として使用されている。古代の人々は、この円形劇場で、ギリシャ悲劇などを観劇していたのだろう。

史跡を一巡し、最後にもう一度木馬の置いてある出入口に戻る。「トロイの木馬」。ギリシャ神話ホメロスの中の「オデッセイ」に出て来る有名な話で、それを史実と信じたハインリッヒ・シュリーマンが、日本で言えば明治の初め頃この場所を発見したのだが、神話に出て来るこの巨大な木馬は紀元前1200年頃のことである。
 
処が、上記の嵐子さんのコメントによれば、同名の「トロイの木馬」という凶悪なウイルスが今世の中に出回っているとのこと。成程、トロイ人は、自国を滅ぼすことになる敵の兵士が木馬の中に潜んでいることを知らずに、城内に引き入れたのだから、現代版パソコンがウイルスが入り込んでいるとは知らずに、ソフトをパソコンに取り入れるのと全く同じことだ。10か月前、木馬の上階に登り、窓から外を眺め、3200年前のトロイ戦争時の情景を想像した時は、思いもよらぬことだったが、この「木馬」が違う形で現代に生き続けているとは・・
 
 
 
 
同行の三郷さんが木馬の上階に登り、窓から顔を出している。
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三郷さん、木馬に乗って、何を考えているのか・・
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当方も木馬の上で万歳三唱を!
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この木馬は複製だが、ホメロスによれば、実際の木馬は近くの有名な山に自生している桜の木で作られ、神話によれば、勝利を導く桜材との事である。
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中半崩れ去ったコリント風の石柱を後に、このトロイ遺跡を後にした。
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