ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(47)サン・ベント駅のアズレージョ。

大聖堂からは緩やかな坂を下って5-6分、前方右手にサンベントの駅舎が見えてきた。
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ここは嘗てのポルト中央駅、サンベントだ。
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こまねずみさんもTakaさんも話していた、これがアズレージョか!
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うーん、見事な彩色タイルだ。
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先刻の屋根のオレンジとこの建物の青、何という色の配剤だ。
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アズレージョ」(Azulejo),とは、南仏地中海に面する「紺碧海岸・コートダジュール」(Cote D’azur)のAzurと同義のAzuleで、「青い色のタイル」を意味している。このアズレージョと日本や中国の陶器、焼き物との関係は良くは分からないが、ドイツマイセンやロイヤルコペンハーゲン、ウエッジウッドなどは明らかに中国日本の焼き物の影響を受けていて、そこから進化したものと考える。ポルトガルアズレージョ大航海時代が始まって、ポルトガル船が頻繁にアジア極東方面と交易し、陶磁器を持ち帰ったことより、このような青タイルの製法が生まれたのではないかと、思っている。

最近の日本では銭湯の数がめっきり減って、普通の日本人は銭湯へ行く機会も殆ど無くなってきているが、戦前から戦後の30年代頃までは銭湯の数も多く、反面、自宅に風呂の無い家もまだまだあって、銭湯はどこでも繁盛していた。銭湯と言えば湯船の正面に描かれた富士山や松竹梅の大きな絵画に目を引かれるが、洗い場の壁とか男湯女湯を分ける間の壁などはタイルで出来ていた。そうしたタイルの模様は、多くが青色の模様とか着色がされていて、水の色の清涼感がイメージされていた。銭湯に入った経験のない人にはちょっと分からないかも知れないが・・。

ポルトガルの青タイル、ポルトアズレージョは先刻ホテル横の古い教会サント・イルデフォンソの壁面で見てきたが、ここでは何といっても、嘗てのポルト中央駅、サン・ベント駅へ行かなければならない。ここには去年メルボルン在住の知人こまねずみさんが、お嬢さんの運転でリスボンからやってきて、タイルで出来た壁画の出来栄えを褒め称えていたが、同様にシャンソン歌手のTakaさんも昨秋カナリー諸島へ行く途中にビーゴに寄港し、ツアーバスでやって来た。このアズレージョの壁画は一見の価値があり、ポルト観光ででは欠かすことのできないスポットとの事だった。

丘の上の大聖堂からは幅広の真っ直ぐな道をだらだら下り降りて凡そ5-6分、右手前方にしっかりした石造りの四角い建物が見えてくるが、そこが目指す駅である。横長に幅広の駅舎の内部は10m程はある高い天井で、横長の正面にはホームに通じる改札があり、縦の左右にはレストランとチケット売り場のコーナーがあるが、それ以外は広い空間となっていて、正面、左右背面の壁いっぱいにこの青タイル、アズレージョが嵌めこまれている。

この駅は第1次大戦が終わった直後に建設され、使用されているタイルは2万枚以上と言われる。Masonry.タイルを1枚づつ丁寧につなぎ合わせ、壮大な風景画、宗教画、戦記物に仕立てられている。幅も長さも高さも壁いっぱい。見事な芸術品だ。ラスピラズリは高価な奇石でふんだんには使えないが、タイルなら如何様にも加工できる。出来上がった絵画はラスピラズリを越える見栄えで、将にタイルのゴブラン織りだ。

この駅舎はポルトガルポルトの誇りであり、嘗てトラベルジャーナル紙に於いて、世界で最も美しい駅の一つに選ばれている。自分と同様の思いで壁面を見上げている観光客も多い。立ち止まって見上げている観光客の邪魔にならないように、電車の乗客は傍らをすり抜けるようにして改札に向かって行く。内心、どうだ、と言わんばかり誇りが後ろ姿に感じられた。100年前のポルトの人々は素晴らしい遺産を後世の市民に残してくれた。これぞ正しくポルトの人々が誇りとする世界遺産に違いない。



2万枚以上のタイルが使用されてるという。部屋いっぱいのアズレージョ
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立ち止まって見上げている人々の中には、絵の専門家らしき人も何人か見かけた。美術的、歴史的にも貴重な財産なのだろう。
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ああ、ワーテルロー、ナポレオン時代のものが描かれているのか・・。
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立ち去りがたい気持ちではあるが、次に向かわなければ・・。
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駅の前は賑やかな通りになっている。
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次に向かうのは、この通りの先にある時計塔だ。
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