ちゃおチャオブログ

日々の連続

10.17.(火・曇)不寛容な社会。不在者投票。

イメージ 1



今はもう通勤と言うことはないが、10数年前、中央線で会社通いをしていた頃、混雑した電車の中で、隣り合わせの女性の衣服に少し触れただけでも、きつい形相で睨み返されたことがあったが、それも1回や2回ではなく、何回かあった。身体ではなく衣服へ触れること位、混んだ電車の中では、そう目くじらを立てることもなかろうにと、内心そうは思っても、相手の女性からすれば、嫌なことは嫌なのだろう。
それが会社勤めを辞める数年前辺りから同様のことが若い男性にも広がって来て、いちいちそんな事を気にする男は、昼間会社で一体どんな仕事をしているのだろう、と、こちらも多少開き直った目つきで、身体を振ったが、社会はこれ程清潔感、清浄志向の高いものになってきたかと、内心思ったものだった。
自分から見れば些細な事、どうでも良いようなことだが、当事者本人からすれば、一大事、価値観は全く違うのだろう。

そうした行き違いの事例が高速上や一般道での追い越し、追い抜き、走行マナー等の違いで、一方が逆上し、あちこちでトラブルが生じている。以前からこうしたトラブルはあったのだろうが、4月の東名死亡事故以来、急に脚光を浴びるようになった。一つのブームというか、流行だ。
ちょっとしたことに逆上する人間は不寛容だ。昔の言葉で言えば心が狭い。或いは自己中心。常に自分が中心にいて、それが侵されると頭にくる。車と言う凶器を持っているから、報復の手段は簡単だ。相手を追いかけ、追い詰め、困らせ、うっぷんを晴らす。
本来そうした人種、不寛容な人間には凶器になりうる車の運転をさせてはならないのだが、今の車社会では、全面禁止にするのも無理なのだろう。
心の問題。心の涵養は学校教育、家族、自身の勉強なのだが、今はそうした機会も失われてきている。わがままで、不寛容な人間は、日本に限らず、世界のあちこちで増大している。最大の不寛容人間はトランプと言ったら、米国人の半分を敵に回すことになるだろう。少なくとも日本人だけでも寛容な人種になっていってもらいたい。

午後、不在者投票の白票を入れるために市役所まで行ったが、市役所に着いて、投票権を持ってくるのを忘れていた。まあ、明日又くれば良いか・・。国民の義務を果たさなければ・・。


イメージ 2