この山門は仁王門になっていて、左右に阿吽の仁王像が寺を守っている。
誰の彫刻によるのか、大きな吽形だ。四天王の誰かだろう・・。
阿形の左川から門を潜り、境内に入ると、前方正面に本堂が見える。
この大師堂の梵字は弥勒菩薩の「ゆ」を表すと、先達さんが言っていたと思ったが・・。
最御崎寺は室戸岬の台地の上を平らにしたかなり広い境内で、本堂から山門までの距離も200mは越えている。由緒あるお寺だからいろいろと旧跡のようなものも多く、それぞれに先達からの説明もあり、ゆっくりと時間を取ってもらった。今日は高知空港から真っ直ぐ室戸へやってきて、岬の手前の2ケ寺に参拝し、残りの3ケ寺はここ室戸市内にあるから、時間的に効率よく回られ、この最後のお寺でゆっくり時間も取れたのだろう。これだけ時間があるのなら、みくろど(御厨人窟)で下車し、洞窟の中を外からでも覗いてみたかったのだが、まあ、ツアー巡礼だから、そんな個人的な贅沢も言えない。
山門は仁王門になっていて、左右に柵に囲まれた仁王像が寺を守っている。阿吽(あうん)の呼吸で、大きく口を開いた阿形の像と、口を閉じた吽形の像が左右に睨みをきかせているのだが、これは人の一生と同じで、アッと息を吸って誕生し、うーんと息を吐いて生涯を終える一生のことだ。山門は左の阿形の側からお寺に迎えられ、参拝を終えたら、吽形の右側から寺を辞す。境内にいるのは短いながらも人の一生と同じことで、阿吽の仁王は人の一生を見守ってくれている、といったようなことを前回参加の時の山中先達が説明していたが、この最御崎寺の山門仁王像を見て、それを思い出した。
最御崎寺。この漢字を「ほつみさき」と読むのだが、これはどうも当て字のようだ。この岬は昔は「火つ岬」と呼ばれていたのだが、それを漢字にしたら、この文字になった。実際、岬の最先端に位置しているお寺だから、当て字といっても、ぴったりの表記なのだが、「岬のかがり火」はここにお寺ができる以前から、地元民によって、行われていたのだろう。今年の春能登半島をドライブし、その最北端の緑剛崎灯台を見たが、そこに西洋式灯台が日本で二番目、三浦の観音崎灯台の次に出来たのだが、灯台ができる以前、そこには大きなかがり火を燃やす狼煙台があって、北の海の航海の安全を守っていた。室戸岬や緑剛崎、大きな半島の先端部にはどこもこの様な「かがり火」や「のろし」で海の安全を守っていたのだろう。能登には今でも地名として「狼煙」という名前の町が残り、ここ室戸では「最御崎寺」として寺名として残された。
山門を左側から入り、再び本堂に向かって進み、本堂の裏側にあるお遍路センターを通り抜け、この寺を後にする。お遍路センターの後ろの林の中は岬の最先端に当たり、灯台も造られている。個人旅行だったらそこまで足を延ばし、灯台の場所から広い太平洋を眺めただろうが、そうした個人のわがままは許されない。そもそもここへはお参りに来たのであって、観光で来た訳ではない。林の中に僅かに白いコンクリが見えたが、灯台の一部だろう。まあそれだけ見えただけでも良しとしよう。
大正時代の高僧の像。メガネをかけている。
如意輪観音か・・。
これはこの寺の御本尊、虚空蔵菩薩だ。
本堂の裏て、お遍路センターの前の林の中に灯台がある筈だが・・。