神恵院、観音寺、共同の納経所。1度で2か所の御朱印がもらえた。
境内に食堂があり、自分は悟堂庵と思っていたが、実際は梧桐庵だった。
店の女性にお願いして頼んだ讃岐うどん。
境内のこの大木は、梧桐、青桐だったのか・・。
昼食も終わり、神恵院、観音寺を辞去する。
時間が十分あればこの寺の山上、琴弾山まで登ってみたい気もしたが、今回の巡礼は讃岐は小さな国で、霊場も都市部に密集しているので、5泊6日の短めの日程を組んだ。それに元々脚が弱ってきていて、時間があったとしても、200mそこそこの山ですら、登るのに二の足を踏んだかも知れない。もうちょっと元気にならなければならない。もう少し脚力を付けなければならない、と思っても、空念仏に過ぎない。老化との戦い、日々衰えを感ずるのみだ。
神恵院、観音寺、二つの霊場の参拝を終え、納経所に向かうと、ここも又山門と同様に1か所にまとめられていて、受付の僧侶が一度に二つの真言、御朱印を押してくれた。阿弥陀如来のキリークと聖観音のサ、達筆過ぎて全く読めない。辛うじて、崩した書体の朱印だけは読めた。うーん、二つの霊場に間違いない。
境内の端の方に和風の食堂があり、入り口の看板に悟堂庵と出ている。丁度昼時間になっていたので、ここで昼食とする。中は案外広く、20-30人は入れそうな食堂だが、先客は初老のおばさん二人だけ。このコロナ禍で参拝者も少ないのだ。少し迷ったが矢張りうどんにする。讃岐に来てうどんを食べないのは、故大平総理にも申し訳ない。何を注文していいのか分からないので、店員に店のお勧めをお願いしたら、出てきたのは何かケンチンうどんのようなもので、可もなく不可もない。讃岐に来て初めてのうどんだが、期待していた程のものでもなかった。案外6月に愛媛で食べたうどんの方が美味しかったかも・・。
清算の際にこの店の名前「悟堂庵」について、何か中西悟堂と関係あるのかと聞いてみたが、若い女性はきょとんとしていた。後で自分の間違いに気が付いたのだが、この店の名前は「梧桐庵」で、悟堂ではなかったのだ。中西悟堂は調布の深大寺で得度し、僧籍を持っていたので、何かこの寺と関係あるのかと食事をしながら考えていたが、それは「梧桐」と「悟堂」の一字違いで、自分の全くの勘違いだった。「梧桐」、青桐のことだが、そうすると境内のあの大木は青桐だったのか・・
さて、お昼も食べ終わり、これから午後の巡礼が始まる。再び三豊市に戻り、その後善通寺市内の札所になるが、午後はどれだけ回れるか・・。大興寺の伝運慶作の仁王像に負けぬ劣らぬ凄い迫力のこの二寺共同の山門を辞去し、次の霊場、三豊市にある第七十番本山寺へ向かった。この札所は三豊市内にあり、旧伊予街道に面していて、本堂は国宝だ。八十八ケ寺では五重塔があるのは僅かに四ケ寺だが、この寺はその内の一つである。観音寺からは財田川沿いの道路を遡って、20分もかからない至近の距離だ。仲の良さそうな中年の夫婦が、同行二人の巡礼着を羽織って、川沿いの道を歩いている。この周辺のお寺はどこも距離が短く、区間を区切って歩くには丁度良い距離だろう。
山門にはこの2ケ寺の霊場の名前が書かれている。この仁王像も迫力がある。
車で10数分、本山寺にやってきた。この仁王門は重文だ。
さっぱりした感じの仁王門だが、室町時代の製作だ。
境内の五重塔は外からでもよく見える。