山門を過ぎると真っすぐ正面に本堂が見える。
第七十一二番曼荼羅寺本堂。
本堂の前の鐘楼。杖立には自分の巡礼杖と帽子が掛かっている。
弥谷寺の長い参道を下り降り、時間を見たらまだ3時過ぎ。11月は日没が早く3時過ぎで早くも太陽は大分西に傾いているが、5時の閉門までにはまだ十分時間は早い。弥谷寺で合計6ケ寺を参拝し、三豊、観音寺の霊場はこれですべて終了した。これからは善通寺の霊場に入る。善通寺には合計5ケ寺の霊場があるが、兎も角先を稼いでおこう。香川西部の善通寺、観音寺、三豊の3市は皆隣接していて、移動距離は短い。ホテルは琴平にあり、どの道帰る道筋だ。取り敢えず次の善通寺にある第七十二番曼荼羅寺に向かった。
善通寺は本当に隣町。車を走らせたら15分も掛からず曼荼羅寺駐車場に着いた。弥谷寺からは切通の山間を通り抜けて善通寺に出たから、位置的には弥谷の山の反対側に当たるのだろう。お寺は後ろに山を控えた小高い場所にある。その山は我拝師山という。曼荼羅寺とは日本語離れした抹香臭い名前であるが、実際、この寺の名前は空海が唐から持ち帰った両界曼荼羅(金剛界、胎蔵界)を奉納した後、それ以前の世坂寺からこの曼荼羅寺に変更されたとのことである。この寺は四国では一番古い創建で、大師よりも200年以上も前の推古天皇時代の創建と言われ、讃岐の領主佐伯氏の菩提寺になっていて、大師の母親の菩提寺になっていた。
山門を入るとすぐに笠松大師の案内が出ていて、それは大師お手植えの松であって、「不老松」と呼ばれ、巡礼者の目を楽しませてくれていたが、残念ながら数年前に松くい虫にやられ、今は枯れてしまって、根元の部分しか残っていない。1200年間生き続けた「不老松」であっても、松くい虫には勝てなかったのだ。今は残された根の部分に大師像が刻まれ「笠松大師」と呼ばれているが、写真で見ると、青々とした松の幹が菅笠のように二重に重なって、その直径は17-8mもの広がりがあった。水平に広がった様は、松とは思えない、何か不思議な自然の造形のようでもあった。本堂、大師堂にお参りし、続いてこの笠松大師をお参りし、旅の安全を願った。少し高台になっているその場所からは、目の前に善通寺の街並みが広がっていた。
石碑の後ろに観音堂と納経所がある。
ここのお寺の不老松は嘗ては見事な笠松だったが、数年前に枯れてしまって、今は根の部分しか残されていない。
その笠松大師に旅の安全を祈願した。
正面が大師堂。どこかに西行の腰掛石がある筈だが、分からなかった。
仁王に挨拶し、寺を出る。