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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(18)第七十三番札所我拝師山出釈迦寺へ。

曼荼羅寺から数分で次の出釈迦寺駐車場に着いた。正面に我拝師山が見える。

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ああ、大師が7歳の時、この山の崖上から身を投じた場所だ。

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後ろを振り返ると善通寺の街並みが眼下に見える。先の方に瀬戸内自動車道の大きな橋も見える。

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少し山の方には讃岐富士も見える。

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曼荼羅寺笠松大師に旅の安全を祈願し、山門を出たところで時間は4時。次の出釈迦寺はこの寺の前の道路をまっすぐ500m程上った先にある。今は周辺全体が高台の住宅地になっているが、昔は山の斜面に二つの寺が殆ど前後に並んで建っていたのだろう。二つの寺共に山号は「我拝師山」という。同じ山の麓にあったのだ。

 

「我拝師山」は大師が真魚と呼ばれていたまだ幼少の頃、この山の頂から釈迦に願って身を投げたのだが、その願いとは、「自分は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じたとのことである。真魚7歳の時だった。崖上から飛び降りた真魚の身体をどこから現れたのかお釈迦さんと天女が中空で支え、命を取り留めたとのことである。後年大師は釈迦如来をご本尊とし、この場所に出釈迦寺を建立したのだ。又山もそれ以前の倭斬濃山(わしのやま)から今の我拝師山に改められたとのことである。

 

曼荼羅寺からは車を走らせてほんの数分。道路が山端の行き止まりに近い所に駐車場はあった。駐車場の正面には我拝師山が間近に見える。崖上には奥の院の建物も一部見えている。この身を投じた場所は捨身が嶽と言われ、巡礼者の聖地となっている。7歳の真魚仏道に目覚め、命を賭して釈迦に誓った場所である。駐車場の先に細い参道が聖地「捨身が嶽」まで伸びている。そこまでは車でも行けそうだ。ただ今日はもう時間がないから、そこまで行くのは無理だろう。

 

駐車場からは一旦坂を下り、正面の山門に向かって又坂道を上がるのだが、先刻の弥谷寺での疲労がかなり残っていて、足が思うように進まない。兎も角ここまで来たのだから、頑張ってこの寺は参詣を済ませておこう。明日が一つ分楽になる。山門に向かうため、身体を反転させると、眼下に善通寺の街並みが一望できる。大師が生まれ育った佐伯の町だ。先刻は弥谷寺から三豊の穏やかな山野を眺めたが、今ここからは穏やかな善通寺の街並み、讃岐の平野を眺める。今NHK大河ドラマで「麒麟が来る」が放映されている。そのテーマは争いの無い平和な世にする、ものだが、四国巡礼道、讃岐の国はどこまでも穏やかに見えた。

 

出釈迦寺山門より入内する。

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門を入って直ぐの主面に我拝師山遥拝所がある。

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大師がこの山の崖上から身を投じた捨身が嶽だ。奥の院の建物も見える。

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我拝師山。今日は登れないが、いつかはもう一度来てみたい。

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