ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(27)甲山寺を後に次の善通寺へ。

  • 甲山寺からは2丁程、2キロにも満たない近距離に善通寺はある。広い駐車所にはほんの数台の車しか止まっていない。正面の橋、済生橋を渡った先が境内だ。

    f:id:commodore:20201218120725j:plain駐車場から見る甲山寺の後ろの山。本当に甲のように丸くなっている。

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    • 済生橋を渡った先には竜宮城のような門がある。正覚門という。

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      • 善通寺は東西に分かれていて、東院にある金堂だ。青龍寺を模したものと言われ、現在重文に指定されている。ご本尊は薬師如来

        f:id:commodore:20201218121113j:plain境内からは先刻の甲山、その先の我拝師山等々の5岳が見える。

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      • 四国霊場第七十四番札所甲山寺。この寺の名前は「こうやまじ」と言う。「かぶとやまじ」でもなければ「こうざんじ」でもない。後ろの山「甲山」はそのまま文字通りに「かぶとやま」と呼ばれている。だとすればこの寺の名前も「かぶとやまじ」が穏当と思うのだが、霊場の中にはちょっとひねった名前の寺もままある。6月に愛媛を巡礼したが、そこに「明石寺」という関所寺があったが、そこは「あかしじ」ではなく「めいせきじ」。漢字を音読みにする例は多々あり、「明石寺」を「めいせきじ」と呼ぶのにそれ程の違和感はないが、昨日参拝した「本山寺」。その伝で言えば「ほんざんじ」になると思うのだが、この寺に関しては訓読みで「もとやまじ」。

      • 音訓どちらかで読まなければならないとの明確な決まりはないようだ。ただ一つ、八十八夜ケ寺の中で1ケ寺だけ「てら」と呼ばれる札所がある。他の八十七ケ寺はすべて「じ」と呼ばれるが、その1ケ寺は去年巡礼した徳島の「藤井寺」で、このお寺だけ「ふじいでら」と呼ばれている。尚この藤井寺臨済宗の寺院であり、そうした関係でずっと昔からこのように呼ばれて来たのが定着したのだろうか・・。四国霊場八十八ケ寺中、2-3ケ寺を除いて全て真言宗の寺であるが、この真言宗ではない他宗派の2-3ケ寺もすべて「じ」と呼ばれている。お寺の場合、どこの宗派でも大体普通は「じ」と呼ばれている。

さてこれから向かう総本山善通寺。善通寺市の名前の由来のお寺だ。というよりか、弘法大師がここで生まれた、と言った方が早い。時に宝亀5年(774年)6月15日、弘法大師空海はこの地に生まれる。父は佐伯善通。幼少を真魚という。善通寺は昔も今も多度津にあって、海のそば。魚は身近な食材だったのか。しかしこの名前に反して、大師の行状記には魚の記述は見当たらない。唯一、遣唐使第2船に乗船していた時に、海の魚が船上に飛び込んで生きたという位か・・。いや待てよ、それは慈覚大師の「入唐求法巡礼記」の中の記述だったか・・。いずれにしても真魚は幼少時の名前で、もう元服を迎える前後から空海と名乗っていた。28歳時、留学僧として唐の長安に派遣されたが、その時はもう既に空海で、別の遣唐使船には最澄も乗船していた。

ここは真言宗総本山。大本山とか別格本山は幾つかあるが、総本山は京都の東寺、和歌山高野山、それにここしかない。ここは真言宗善通寺派の総本山であり、屏風院五岳山誕生院と号する。大師信仰の総本山であり、全国から大師を慕う信者が集まってくる。境内には大きな宿坊も備わっている。この寺は空海が唐の長安で恵果阿闍梨の下修業した青龍寺を模して、唐からの帰朝後この場所に建立されたものであり、寺名の「善通寺」は亡き父の諱、送り名から採られたものである。先程の甲山寺よりも更に数十倍も大きな駐車場に車を止め、竜宮城へ向かうかのごとき済生橋を渡り、境内に入る。

正面に五重塔が見える。

f:id:commodore:20201218121402j:plainこれは明治の建造ではあるが、重文に指定されている。

f:id:commodore:20201218121444j:plain大師誕生の地、西院に向かう。

f:id:commodore:20201218121524j:plain西院入り口近くにある五百羅漢。

f:id:commodore:20201218121611j:plain金堂(本堂)遠景。

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