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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(30)金倉寺参拝後道隆寺へ。

金倉寺本堂。

f:id:commodore:20201221211335j:plain智証大師円珍を中心に祀る大師堂。

f:id:commodore:20201221211433j:plainここには智証大師、弘法大師神変大菩薩役行者が並んで祀られている。

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    • 訶利帝母(かりていも)、鬼子母神を祀る御堂。

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空海が生まれ育った善通寺は古くから栄えていたに違いない。目の前は多度津の海で、後ろには五岳の里山が控えている。海の幸、山の幸が豊富に得られたのかも知れない。豊かな土地だったに違いない。この5万人にも満たない小さな町に5ケ寺の霊場があり、隣の多度津、宇多津の霊場を含めれば、本当に狭い範囲の中に7ケ寺もの霊場が存在している。単に霊場の数が多いというだけでなく、それぞれの霊場には深い歴史と由緒がある。

霊場第七十六番金倉寺は智証大師円珍がここで生まれ育った寺で、天台宗第5座主円珍所縁の寺で、天台宗の中では別格本山になっている。善通寺市の住宅地の中、平地の中にあってそれ程広い境内ではないが、格式は高い。乃木将軍が日露戦争満州旅順の203高地の激闘の前の3年間、この寺に住していた、とのことだが、そうした史実はこの寺に来ないと分からない。ここには又訶利帝母(かりていも)、鬼子母神を祀る立派な御堂もあって、それは松山の石手寺にある御堂よりは大きい。この寺は鬼子母神信仰、子授かり、安産、子育て、母体の保全、等々、庶民からも篤い信仰を集めている。

金倉寺での巡拝を終えて、次に隣町多度津の中心部を通り抜けて、次の霊場道隆寺に向かった。善通寺多度津も近すぎて、同じ市内の別の商店街とも錯覚しそうだが、ここは昔から別の町である。多度津善通寺平安時代、いやそれ以前の万葉の時代から歴史の中に出てくる地名で、由緒ある地名だ。この道隆寺多度津の住宅地の中にあって、駐車場の関係で、裏口から寺域に入ることになった。この寺は天平の頃、この地を治めていた和気道隆の息子が亡き父の過誤を鎮めるため、唐より帰朝したばかりの弘法大師にお願し、この場所に父の名を取って道隆寺を建立したものであり、この寺も又真言宗醍醐派大本山になっている。寺の至る所に50cm程の観音立像が奉納されていて、その数の多さは圧巻だった。