境内から最後にもう一度和歌の浦を眺め、寺を下山することにした。
本堂にも謝意を示し、下山した。
西国観音霊場、是非もう一度来てみたいものだ。
仏殿ともさようなら。
時間的にも体力的にも、今回の旅行でここ紀三井寺が最後となるだろう。後1か所、和歌山郊外にある根来寺へ参詣したかったが、今回は無理だろう。和歌山はそれ程遠い場所ではない。又いつか来る機会もあるだろう。そうだ、今度は西国観音三十三霊場巡りに挑戦するのも良いかも知れない。花山法皇のような財力も時間も精力も残ってはいないが、自分やり方で、真似事位は出来るかも知れない。
巨大な千手観音像と、それを取り巻く多数の奉納観音が安置されている仏殿を後にして、寺を下山することにした。もう一度、波穏やかな和歌の浦を眺め、遠方から本殿に謝意を示し、又、再び長い石段を下り降りる。登る時は先ずはお寺へ、と脇目も振らず休み休み登ったが、下りは少しは余裕がある。参道の左右の史跡や御堂を見ながら下山した。
三井寺と紀三井寺。似たような名前のお寺だが、大津の三井寺は、比叡山延暦寺第4代座主の円珍が創建した寺で、平安末期ころから比叡山の山門派と三井寺園城寺の寺門派との勢力争いを繰り返し、それに奈良の古仏教が加わって、三つ巴の争いをしていたが、この紀三井寺はそうした争いには加わらなかった。と言うか、後発組で、そうした争いに加わる力も無かった。紀三井寺が三井寺の名前を一部借用し、寺名としたかどうかは知らないが、お互いに清水が湧き出ることで有名だった。大津の御井、紀州の御井。参道の左右にはほとばしり出る清水の阿加井が今もある。三井寺は目の前に琵琶湖を眺め、紀三井寺は和歌の浦を見ゆ。紀州出身の弁慶が取り持つ縁、紀三井寺も三井寺も円教寺も皆西国観音霊場だ。これでは身体が動く限りは、西国巡礼の夢は捨てられない。
再び231段の石段を下り降りる。
参道途中の清水を飲む。
名水100選にも選ばれている紀三井寺の霊水だ。
参道途中の御堂にもお参りして、石段を下り降りる。