ひっそりとした元三大師堂から四天王寺境内に入ると、今日は何かの縁日らしく、沢山の屋台が出ていた。
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20年ぶりに四天王寺に参拝する。手前は石舞台だ。
四天王寺には過去2回来ている。最初に来たのは随分昔で、多分50年近く前だろう。それも多分になるが、多分司馬遼太郎の「街道をゆく」の中でこの寺の記載があって、この寺の敷地は元々は物部守屋の所有地だったのだが、物部氏を滅ぼした聖徳太子が、その霊を治めるために為にここに寺を創建したと。それとこの寺には元三大師を祀る大師堂があり、自分の隣町調布には深大寺があって、そこは大師所縁のお寺で、大阪に行くならこの寺に詣でたいと思っていた。
最初に来た時は、沢山ある墓石の端のほうに、ポツンと1軒大師堂が建っていて、元三大師はこの寺の本流ではないとしても、特別な存在と感じた。記憶が間違っていなければ、元三大師慈恵良源はこの寺でいつかのお正月3日に亡くなり、その命日を記念して元三、即ち元日三日の寂滅を意味し、名付けられたと。調布の深大寺にはその尊像が秘仏として納められ、鬼大師として尊ばれている。
20年ほど前、2度目に来た時はこの大師堂の場所が分からなくなり、時間もそれ程なかった関係で、西門鳥居から海の方向を眺めるだけに終わったが、今回は天王寺から地下鉄で来た関係で、駅から地上へ上がり、少し歩いた先にこの寺の乾門の前に出て、その門の少し先に大師堂があった。一人主婦らしい夫人が御堂の中に上がって、熱心にお参りしていた。身内に不幸があるのか何なのかは分からないが、横顔はどことなく淋しげだった。
そこから細い路地を通り抜けた先に四天王寺境内があり、今日は何かの縁日か沢山の屋台が出ていて、参詣客で賑わっていた。ひっそりとしていた大師堂とは大違いの賑わいだった。参道の両側に軒を連ねて出店している祭り屋台を横目に眺め、参詣客にぶつからないように石舞台の前の橋を渡って本堂に参拝。ご本尊、聖徳太子所縁の救世観音菩薩にお参りした。20年ぶり、3回目のお参りだ。今回の霊場巡りでは太子に縁がある。二日目にお参りした六角堂頂法寺とここ四天王寺。この寺は西国観音霊場とはなっていないが、戦前に制定された新西国観音霊場の一番札所になっている。この新西国霊場も和歌山道成寺、奈良飛鳥寺、當麻寺、比叡山延暦寺、鞍馬寺、兵庫の須磨寺、等々有名寺院が多く組み込まれている。西国霊場巡りが何年かかるか分からないが、満願成就された暁には、今度は次のこの新西国へ挑戦するのも悪くない。身体がどこまで動くかが問題ではあるが・・。
聖徳太子が帰依していた救世観音にお参りする。
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ここには楼門もあり、五重の塔もあって、境内は広いが時間がなく、足も疲れ、隈なく境内を歩くことはできない。
屋台を見ながら、駅に戻ろう・・。