ここへ来たのは今日で2回目だが、昔の雰囲気は変わらない。
市中にあって狭い境内で、昔からこんな感じだった。
第18番札所、頂法寺・六角堂。
今日最初の観音霊場、頂法寺にやってきた。ここは三十三観音霊場の中で第十八番札所に当たる。昨日六波羅蜜寺と清水寺の2ケ所を巡礼し、今日はこことこの直ぐ先にある行願寺の2カ所を巡礼する予定だ。頂法寺とは正式な寺名で、一般的には六角堂として知られ、色々な書物の中でもそのように呼ばれている。建物が六角形をしているので、そのように呼ばれているが、それはずっと昔、法然の時代からそうだった。京都市内でも歴史が古く、由緒あるお寺で、その起源は聖徳太子にまで遡る。
この寺と聖徳太子の結びつきは深いが、寺伝によれば太子が物部の守屋との戦いに勝って、そのお礼として大阪に四天王寺を建立するに際し、小野妹子と共に木材をこの地に求めた。ある時太子が綺麗な池の傍の木の枝に持仏の如意輪観音を置いて水浴びし、帰ろうとした時、この如意輪観音はそこから動かなくなった。そこで太子はこの場所に六角形の御堂を建て、その如意輪観音を本尊とした、とのことである。
聖徳太子の時代からこの場所にこのような六角形のお寺が建てられていたかどうかは不明だが、平安時代後期には既にここは観音霊場として有名で、六角堂の名前で通っていた。更に名前を高めたのは親鸞聖人で、彼がまだ苦行僧の頃、比叡山を下りてきた親鸞がここに100日間の参篭をし、夢の中に聖徳太子と相まみえたとの因縁があった。町中にある寺で、寺域はそれ程広くはないが、正面本堂はそれなりの歴史を感ずるものがあった。
ここへ来たのは2回目。学生時代には何故かオミットしたが、社会人になって1度訪問し、今日が2度目ではあるが、山門を入った正面の本堂、その右手の池、左側にある池坊本部の建物などは昔のままであり、ああ、以前と変わらない安堵感があった。何故ここへ来たのかの背景は忘れてしまったが、聖徳太子、法然、親鸞の事跡を訪ねてのものだったのだろう。
おんバラダハンドメイウン。幾たびか火災で焼失し、この本堂自体は明治になってからの再築だ。
聖徳太子入寂1400年大遠忌の幟が立っている。
本堂右手の池は後年人工的に作られたものである。
赤い前垂れをした水子供養の石仏が数十体並べられていた。