ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音霊場巡り(26)池坊本家と六角堂。

六角堂の直ぐ隣には池坊本部の建物が建っている。以前と比べモダンになっている。

 

  • シースルーのエレベーターは以前と変わらない。

エレベーターが階を上るにつれて、六角堂の全体像が見えてくる。

 

 

名前の通りの六角形の屋根、建物だ。

 

 

六角堂に接して、池坊本家のビルがある。日本の華道はここ六角堂、池坊に発すると言っても過言ではない。池坊とは正に先刻見た池、嘗て聖徳太子が沐浴したと言われる池の名前にちなんで付けられた。代々六角堂の住職が池坊家元を継いでいて、現在の家元、第45世池坊専永氏も同様だ。彼の奥さんは公明党衆院議員の池坊保子さん。二人には男児に恵まれず、長女が時期家元に就くことが決まっている。長い家元制度、六角堂の歴史の中で、初めての女性家元になるとのニュースで、数年前大きな話題になった女性だ。お茶と華道と香道、長い日本の歴史の中で、世界に誇れる伝統と格式、文化の継承だ。

 

寺の直ぐ横にその池坊本部のモダンなビルが建っている。以前来た時と同じ場所にあるが、建物自体が新しく、建て替えられたようだ。中に入ってみるとロビーも広々していて、以前とは雰囲気が違う。確か以前は1台しかなかったシースルーのエレベーターも今は2台が交互に動いている。そうか、矢張り建物は新たに改築されたのだ。だが、同じ場所に同じような高さのビルで、全く区別が付かない程だ。丁度エレベーターが1階で待機していて、それに乗って上階に上がる。シースルーのガラス越しに以前と同じ光景が眼下に広がる。階が上がるに連れて建物の全体が見えるようになり、名前の通り、屋根は六角形だ。同じ光景を見て、安心感が広がった。

 

1000年程前、誰が最初にこの寺を造営したのかは知らないが、当時にあって六角形の建物は大変珍しかっただろう。通常の寺は寄棟の片流れで、片方の屋根が大きく広がっているのだが、この六角形は等均等だ。皆同じ大きさと同じ形の屋根をしている。ああ、そうだったのか・・。そう言えば法隆寺の夢殿も六角形だ。成程、そうだったのか・・。この寺が聖徳太子に所縁があり、その太子を偲んで六角構造にしたのだ。

 

そうだ、六角構造の建物はもう一つあった。それは茨城五浦にある六角堂で、以前崖の上から荒磯の海べりに建つ小さな六角堂を見たことがあった。それは明治の時代、岡倉天心フェノロサがこの地、北茨城の太平洋を良く見渡せる場所に観潮楼、観月楼として建てたのだ。何年か前、この地を襲った台風で、建物ごと流されたが、その後、同じ場所に同じ構造の建物が再築されたと聞く。

 

廃仏毀釈が吹き荒れる明治の時代、彼等二人は仏教美術の高度な芸術性に着目し、法隆寺金堂にあった百済観音像が二束三文の薪代で売られる処を救済し、後日この観音像は国宝に指定されたが、彼等がこの僻遠の地に六角堂を建てたのは、矢張り、彼等の心の中に聖徳太子への思いがあったのか・・。日本でも数少ない菱形の六角堂を上から見下ろし、聖徳太子の徳を思い、エレベーターを下降した。

 

7階、最上階から京都市内を眺める。流石に四条、街の中心だ。

 

暫く眺め、下昇する。

 

  • こうしてお寺を見下ろすことも、シースルーである以上、不敬罪には当たらないだろう。

     

    以前来たのはいつだったか・・。20年前か40年前と変わらぬ眺めだった。