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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(14)第七十番札所本山寺に参拝。

  • 仁王門を入ると、直ぐ左手に五重塔が迫ってくる。

    f:id:commodore:20201201183351j:plain大師堂が左に見える。

    f:id:commodore:20201201183516j:plain室町時代建造の国宝の本堂が正面に見える。

    f:id:commodore:20201201183612j:plain霊場の中では数少ない国宝の本堂。

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  • 四国霊場88ケ寺の中で五重塔があるのは4寺しかない。霊場はそれぞれその国を代表する大寺、歴史ある勅願寺等であるが、五重塔建立に至ったのは、僅か4ケ所。財政的にも技術的にも大変な出来事だったのだろう。弘法大師より凡そ100年ほど前、聖武天皇は全国に国分寺国分尼寺の建立を命じたが、本堂、金堂はどこも堂々とした東大寺様式を備えた立派なもので、各寺にはそれぞれ五重塔、七重塔も併備されていた。

  • 東京国分寺始め、全国の大方の五重塔はその後の戦乱等により破却、焼失してしまったが、今でも岡山総社市には当時の五重塔が現存していて、もう随分以前に見に行ったことがあったが、田んぼの中に今も屹然と建っていた。しかし間近に見ると、矢張り如何にも古く、いつ倒れてもおかしくない危うい感じだった。それはともあれ、大師よりも遥か以前に塔の建設を命じた聖武天皇の当時の日本の国力は想像を絶する。その更に100年ほど前聖徳太子は隋に書を送ったが、「日出るところの天使」の意気込みは脈々と引き継がれていた。その法隆寺には今もなお世界最古の国宝五重塔が現存している。

重文の仁王門を潜って境内に入ると、正面に国宝の本堂が収まっている。左手に五重塔を目の端に置き、本堂に向かう。室町時代の建造ではあるが、金閣寺のような煌びやかさはなく、銀閣寺のような落ち着いた佇まいだ。長い風雪に耐えてきた趣もある。この寺も長曾我部の侵略兵に荒らされたが、この本堂は焼失を免れた。ご本尊は馬頭観音菩薩。八十八ケ寺の中で、この観音様をご本尊とするのはこの寺だけだ。秘仏で一般には公開されていないが、寺伝によれば大師自らが彫ったとのことである。先の神恵院、観音寺同様、この寺の山号も七宝山。嘗ては広大な寺域を持っていて、沢山の伽藍もあったとのことだが、先の2所同様、大師がどこかに七宝を埋め、五輪塔でも建てたのか・・。3つの寺に共通する山号、八十八ケ寺霊場の中では珍しいことだ。

 

納経所は本堂の後ろにある。

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納経所。

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伊予街道に面した山門。

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この山門は江戸時代のもの。岡山のお寺から移築されたとのこと。

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    • 芙蓉、酔芙蓉は東京では夏の間に咲くが、四国は暖かいのか、11月の今でも満開に咲いている。

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