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日々の連続

坂東観音霊場巡り(4)鎌倉杉本寺境内にて。

杉本寺本堂の裏山は、嘗て杉本城よ呼ばれた山城であたっという。

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当時、戦いで落命した武将等の霊を弔う五輪塔などが並んでいた。

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本堂の斜め前、崖上には鐘楼がある。ここからの鐘の音の響きは良いだろう。

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鎌倉で一番古いお寺杉本寺。寺伝では実に、行基菩薩の開創になるという。鎌倉のみならず、関東地方でも一二を競う古さで、国宝釈迦如来椅像が安置されている調布市深大寺と同じ位歴史のある古刹だ。小山の上にあって、本堂に通じる鎌倉石の石段は長い年月の間に石の表面がすり減ってしまい、上り下りが危険になった為、今では使用禁止になっていて、別に両側にう回路が作られている。鎌倉石は大谷石同様に柔らかい石材で加工がし易い反面、長年の風雪には傷みやすい。

 

今回の霊場巡り、本堂内の写真撮影が禁止されていて、各寺の御仏を撮影することは出来なかったが、この寺のご本尊は三体の十一面観音菩で、それぞれは行基菩薩、慈覚大師円仁、恵心僧都源信の製作になるもので、これ等が国宝乃至重文に指定されていないのは、不思議の感もあるが、四国八十八ケ寺、かなり多くの巡礼寺が行基弘法大師の創建になるものの、意外と国宝や重文が少ないのと、同じような背景があるのかも知れない。かえって深大寺の釈迦如来椅像は作者不詳なるものの、関東地方で最初の国宝に擬せられた対比は面白い。

 

この三体は秘仏で、普段は本堂奥の御簾の中に中に隠れていて、参詣者からは見えないが、その代わり、頼朝によって御簾の前に前立観音像が寄贈され、人々はその前立観音像に向かって合掌する。嘗てこの寺が火災に見舞われた時、この三体のご本尊は寺の前にある杉の木の根元の虚に避難し、火災から難を免れた、との言い伝えがあって、それ以降、この寺の名前が杉本寺に代わり、又、ご神体も杉本観音と呼ばれるようになった、とのことだが、今でもその場所には何世代目かの杉の大木が立っている。それと対を成すように、本堂左手の崖の上には鐘楼があって、除夜の夜、ここからの鐘の音は眼下の朝比奈街道の谷底に響き渡ることだろう。境内を一巡し、下山することになった。

 

本堂の右前には大きな杉の木が立っていた。この寺の火災の際、何代か前の大杉の洞に観音様が危難を逃れた、とのことである。

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山上の境内を下山する。

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山門の苔むした茅葺屋根が見えてきた。

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