朱塗りの大門に祀られている阿吽の像。
凄まじい形相だ。
大門の直ぐの場所に不動堂が見える。
前方に境内の案内板がある。
壮大な朱塗りの大門を潜ると、せせらぎのような小川、「粉川」(長屋川)に沿って本堂まで参道が続く。昨日参拝した勝尾寺程は大きくはないが、かなり広大な境内で、参道も長い。嘗てこの寺は鎌倉時代には4km四方の境内があって、550もの僧坊を有してたが、秀吉の紀州征伐で全てが焼き払われた。今ここに残る参道は、その当時の広大な寺域の面影を残しているようだ。
大門を入った直ぐの場所に不動堂があり、更にその横に境内の案内板が立ててある。これを見る限りでも今なお沢山の堂宇が立ち並んでいて、現在も尚3万5千坪の敷地を有している。春の季節には桜で有名なのか、参道沿いには桜の並木が植えられている。
最初に目に付いたのは古びた木造の御堂、念仏堂で、重文の指定を受けている。この寺は秀吉の焼き討ちに遭って全山焼失し、その後江戸時代になって再建復興したものだが、それでも先の大門、本堂等重文指定の建造物は4つもある。それと焼失を免れた鎌倉時代作成の絵巻物「粉川寺縁起」は国宝に指定されている。その縁起によれば、この寺は770年、即ち弘法大師空海が生まれる少し前の頃だが、この近くの猟師が千手観音の化身に導かれてこの地にやってきて、草庵を結んだことが創建の始まりという。この寺のご本尊は千手千眼観世音菩薩で、この燻んだ感じの木造御堂はその観音様を祀る御堂だ。
30cmを越えるような大きな仏足石が祀られていて、この足石はどこからどんな経緯でこの寺に寄進されたのか、解説文になく、余りにも大きな足裏のサイズに、どことなくタイのバンコクのワットポーの巨大な涅槃仏の足裏を想像した。よもや、タイから運ばれたものでは無いと思うが・・。そんなこんなを想像しながら参道を歩いていると、前方にもう一つの大きな山門が見えて来た。これも又重文の中門だ。四天王が祀られている。
これを見るからにも大きなお寺だ。
せせらぎに沿って、長い参道が続く。奥に本堂の大屋根も見える。
ああ、巨大な仏足石だ。優に30cmは越えている。
前方に更にもう一つの山門が見えて来た。漸く本堂も近づいてきた。